徒然随想

-歳々年々−
 日曜日、春霞、いや黄砂がかかってはいるが、穏やかな良い天気だ。わが輩も、こんな日は昼寝より、少し遠出でもしたいものだと思いながら、うとうとしてい ると、男あるじが、なんとスポーツウエアを着て庭に出てきた。そして、おもむろに首輪を散歩用に繋ぎ替えると、わが輩を連れ出した。おやおや、どうした風 の吹き回しだろうと、けげんそうな顔をすると、
「さて、眼に青葉、山ホトトギス、初カツオだ。隣の森林公園にでも出かけるか」とつぶやく。たしかに、桜の花の季節は終わったが、ケヤキは芽を吹き出して 眼に鮮やかだし、チューリップは花を開き、三色スミレは黄色、白、紫と鮮やかだ。もっとも、わが輩犬族には、色を知るしくみ、色覚がないので、色は明るさ の変化でしかわからない。この点、わが輩は大いに不満である。なんで神様は色覚を備えるのをわすれてしまったんだろう。白黒の世界も、秋には墨絵のようで 風情があるが、やはり春の季節は色を楽しみたいものだ。
 わが輩が、こんなことを考えていることなぞ、まったく気がつかずに、男あるじは、家々の庭に咲くチューリップを愛でては、この赤は深みのある葡萄酒色だなとか、この三色スミレの紫は気品があるなとか、ひとり感嘆しながら歩いている。
 この黄金週間間近の頃になると、わが輩は隣の隣のまた隣くらいのシロキチを思い出す。わが輩が、散歩で出会ったときには相当年寄りで、よぼよぼと歩いて いた。どうやら後ろ足が立たないようだ。飼い主は、
根気よく、そのゆっくりとしたシロキチの歩みに会わせて歩いていた。まだ若い奥さん風だったが、きっ と、吾があるじとは人間の出来具合が違うのだろうか、けっして綱を引いたりはしなかったな。わが輩の男あるじなら、きっといらいらしてわが輩の尻を蹴っ飛 ばすだろうな。
 そのシロキチは、桜の花が咲く前に逝ってしまったらしい。なんでも、女あるじによれば、最後はおしっこが出なくなって死んだと言うことだ。
 毎年、桜の花、チューリップの花、パンジーの花は変わりなく咲くのに、わが輩犬族はいなくなるものもある。わが輩は、まだ若いのでそれほど、花を見ても感傷的にはならないが、しかし年老いたら来年も同じ花を見られるかとあれこれ思うかも知れないな。
 わが輩が、シロキチを思い出しながら、こんなことを夢想していたら、花の鑑賞にも飽きたのか、わが輩の顔をみて、
「ふーん、お前も感傷にひたるのか。まあ、生きとし生けるもの、いつかはいなくなるからな。まあ、お前もそのうちにそうなるんだな」とぬかした。
わが輩は、そっくりそのまま、その言葉を返したいものだと
「ワンワン、フューイン、フューイン」と吠えた。
男あるじは、
「なんだ、その言いざまは」とわが輩を蹴ろうとしたので、とっさに身をかわした。
てれくさそうに、あの有名な、唐の時代の詩人劉廷芝の「代悲白頭翁」の一説を男あるじはうなり始めた。

  「古人無復洛城東(古人また洛城の東に無し)」
  「今人還対落花風(今人還って対す落花の風」
  「年年歳歳花相似(年年歳歳花あい似たり)」
  「歳歳年年人不同(歳歳年年人同じからず)」