わが庵からみる桜も、はや葉桜となった。そして日に日に新緑が勢いを増していく。まだ、吾輩にも肌寒い日もあるが、季節は初夏に向かって着実に歩んでいるようだ。桜が満開なのを見ると豪華絢爛で見とれてしまうが、散り際も風情がある。まるで、季節外れの雪が舞うように花びらが散り、そして大地を白くする。こんなことを思い浮かべながら、春の暖かな陽射しを浴びてぼんやりしていたら、そこへ男あるじがやってきた。男あるじも同じ思いのようで、
「まったくだな。満開の桜も、そして花吹雪の桜も良いものだな。桜は心を静かにすると言うよりは、心を波立たせる力があるようだな。梅ならば、千々に心乱れるというよりは、清楚な姿に心は鎮まり、お茶でも一服飲もうかという心持ちになる。逆に桜では、その下で賑やかにどんちゃん騒ぎと行きたくなる。幼少のの頃、花見の席で大人達が『お酒呑むな、酒呑むなのご意見なれどヨイヨイ、酒呑みゃ酒呑まずにいられるものですか』、と陽気に騒いでいたのをなつかしく思い出すな。これはヤットン節という歌で、戦争が終わり安心して大人達が騒いでいたんだな」。と話しだし、続けて、「あの在原業平も『世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし』と詠んでいる。これは文字通り、桜花がこの世に無ければ、私の心は平穏にいられるのに、桜花があるために心が騒いで仕方がないといった意味だ。生きとし生けるものが復活する春なので力もみなぎり、恋にも仕事にも勇躍しようと皆が感じる。この歌は伊勢物語の八十二段渚の院に出ていて、この歌に別の人が、『散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき』と続けたというぞ。ここでは、桜は散るからめでたいのだ、もしとこしえに咲いていれば何の感慨も生じさせない、この憂き世に永遠に存在するものは何もないという意味を詠んで、無常観をさらけ出している」と解説しだした。
 吾輩は、満開の桜は華やかで美しいと素直に感じ、散る桜も花吹雪のごとくで豪奢なものと感じないのか不思議に思った。人間という種族は、なんでもものの背後に無常を感じないではいられないもののようだ。たしかに、とこしえに永らえるものはこの世には存在しない。だからむなしいと感じるか、あるいは素直にだから美しいと感じるかだ。どちらに感じるにしてもむなしいと思ってしまっては楽しめないのでは、と男あるじに尋ねると「伊勢物語は平安時代の初め頃に在原業平によって書かれたとされている。在原業平というのは、当時の貴族で平城天皇の孫にあたる。すでに仏教が普及し、この世は輪廻転生の途次であり、永遠の安らぎを得るためには仏に帰依し、救済を求めなければならない。神道は、すべてに神が存在すると考え、神と共に清く明るく正しく生きることを教える、いわば現世肯定的な宗教である。日本では、不思議なことに神も仏も受け入れられ、共存している不思議な国といえるな。キリスト教やイスラム教は神は唯一絶対神と考えるので、両立しない。その点では仏教も神道もおおらかだ。仏陀というのは真理に目覚めた人、つめり解脱をして輪廻転生から抜け出た人を指すので神ではない。いわば偉大な先達者、あるいは目標とする人という位置づけとなる。後に、阿弥陀仏や大日如来が考え出され、いわば宇宙の真理を体現するものとして措定されていくんだな」と男あるじは一息ついた。 吾輩は桜花をめでることからどうして一神教やら多神教やら、そして佛とは何かまで敷衍してしまったのか、途方に暮れた。ただ、桜の花ひとつを鑑賞するにも、ものの見方が影響するらしいと言うことは理解できた。
「俳句になると無常観というのはすくなくなる。『花の雲 鐘は上野か 浅草か』。これは芭蕉の句だ。雲のように咲いた桜の下、鐘が鳴っている。あれは上野の寛永寺かあるいは浅草の浅草寺の鐘か。春のうららかな良い夕方だ。こんな意味だな。見えたまま、感じたままの景色と風情をそのまま句にしている。もっとも、『さまざまの 事おもひ出す 桜かな』と詠んだのも芭蕉だ。桜花から来し方を追想し、感慨を深くしている情景がすなおに詠まれているな」と結んだ。

「古希迎えさまざま思う花吹雪」 敬鬼

 

徒然随想

- 桜花考