新年(2016年)となってもう三が日が過ぎた。今年は長男夫婦が帰郷しなかったので寂しいお正月で、孫にも会えなかった。それでも現代のテレビ電話ともいえるスマホを起動すれば、映像を見ながらお話ができるので大変便利この上ない。しかもこれが無料なのだから言うことはない。4歳になる孫もすっかりスマホでお話ができるようになったので頼もしい。電話のように音声だけだと成長の具合を実感できないが、しゃべる本人を目の当たりにして話をすると、実際に会っていなくてもなんとなく満ち足りるから不思議なものだ。 吾輩はといえば、お正月になるといよいよ意識が遠のき、寝ているというよりもう目が開けられない位に衰弱した感じだ。女あるじや娘あるじが必死に吾が命の延命をはかってくれるが、もうそれにこたえる体力が残っていないようだ。動物のお医者さんの診断では腎臓の機能が衰え尿毒症になっていて、もはや処方できる薬はないとのことだった。吾輩も息が苦しいので早く旅たちたいのだが、意外と心の臓が丈夫なのでこの世に留まっている。そこへ、男あるじも様子を見に出かけてきて、
「よくもちこたえたな。今年で17年か。良く生きたものだ。吾が人生、いや吾が犬生に悔いなしだろう。定年退職してからは一緒によく夕方散歩をしたものだ。いまから6年前になるな。あのころは5千歩、6千歩とあるいてもお互いに平気だったな。それがだんだんと歩く距離が短くなっていった。1年くらい前からはせいぜい3千歩に減ったな。それに会わせるように私の膝痛もあって、遠出をすることもなくなった。女あるじもここ数年散歩につきあうようになったから、夫婦と犬1匹の散歩は近所でも評判になった。そうだ、最近ではおまえを連れないで散歩をしていると、クウちゃんはどうしたとたびたび聞かれるようになった。その都度、『老衰で後ろ足が弱り散歩に連れて歩くことができないんですよ』、と女あるじが答えていたな。まあ、おまえは定年後の春夏秋冬の散歩の友といえるな。春は満開の桜の下を、夏は蝉時雨の中を暑さを、秋は曼珠沙華の川端を、冬は木枯らしに抗しながら、散歩したものだったな」とつぶやいた。
 吾輩は、まだらな意識のなかで男あるじのつぶやきを聞いた。そして、
「まったくそのとおりです。よく一緒に歩きました。あの散歩は吾輩にも一日で一番の楽しみでした。吾が犬生に悔いなしです。たしか歌詞は、『・・長かろうと短かろうと我が人生に悔いなし』と歌っていたな。ほんとうにそうだ。吾輩は思いの外に長生きをした。『・・・生きている限りは青春だ 夢だろうと現実だろうと 我が人生に悔いなし』と結んでいたが、これもほんとうにその通りだ。当てがい扶持の一生だったが、そこには楽しいことも嬉しいことも、そして感動することもあった。この家にやっかいになってわがままを通させてもらったので、まっこと感謝感謝だな」と声にならない声でフィーンフィーンとないた。
 そこへ娘あるじがやってきて、吾輩を、
「クウちゃん、ずうっとずうっと大好きだからね。この家に来てくれて本当にありがとう。生まれ変わってもこの家に来てちょうだいね」と目を赤くしながら吾輩を抱きしめた。
 吾輩もこの世の最後にこんなに大事にしてもらった礼をいおうと、かなり長くフィーーンと息を吐いた。娘あるじも吾が思いがわかったと見えて、いっそう強く吾輩を抱きしめたので、息ができなく本当にこの世からさよならかと思った。吾が死にゆく様を見て、この家の者たちも、生きもの死を実感しているようだった。


「門松や遠く旅だつものもあり」 敬鬼

徒然随想

三が日