徒然随想

- 三寒四温-

 大寒を過ぎたからなのか、天気が周期的に変化するようだ。暖かな日が二三日続くかと思うと、木枯らしが吹き、雪混じりの雨が降るような寒さがぶり返す。吾輩も暖かな日は日向に出て午睡をむさぼるが、寒い日は縁の下で風が当たらない場所を探し、できる限り丸まって寒さをよける。身体を丸まれば、毛皮の外套を着ているようなものなので風を防げるし、自分の体温をうまく閉じ込められるので具合がよい。こんなネコみたいな姿勢でも、寒いときには背に腹は替えられない。気温が低く風の強い午後には男あるじも散歩に出てくるのが遅いようだ。きっと、部屋の中の陽の当たる椅子で毒にも薬にもならない本を有り難く読んでいるのだろう。
 陽も幾分かげるようになった頃、ようやく庭にお出ましになって男あるじは、
「春が近いのか、天気が周期的に寒くなったり暖かくなったりするな。三寒四温を知っているか。今頃に季節に寒い日が3日ほど続くと、そのあと4日ほど温暖な日が続き、また寒くなるような天気の変化をいうのだぞ。これは北のシベリア高気圧の勢力がほぼ7日の周期で強まったり弱まったりするからと考えられている。もっとも日本の天気は太平洋高気圧の影響も受けるので、低気圧と高気圧が交互にやってきたときの気温の周期的な変化をさして言う場合が多いようだ」と解説しだした。
 吾輩は、そんな事を聞くより早く散歩に出たいので、「クウクウフィーンフイーン」と鳴くと、男あるじは、
「今日は寒い日に当たってしまったな。こんなところで立ち話をしていると寒くて仕方がない。どれ、歩いて身体を暖めるか」とつぶやき、吾輩のリード綱を付け替えて歩き出した。
「三寒四温は俳句の季語にもなっている。三寒あるいは四温を詠み込んで使う。冬の季語だ。俳人の石川桂郎の句に『三寒の四温の待てる机かな』というのがある。寒い日には机の向かってものを書いていても足から冷えてくる。3日間の寒い日から4日間の暖かい日になることを待ち望む思いを詠んでいる。三寒四温というのは俳句には使いにくい季語だが、この句ではそれを使いこなしていて、冬の季節の日常をうまく表現しているだろう」と歩きながら話した。
 吾輩は、あちらこちらの匂いを嗅ぎながらおとなしく男あるじのご高説を拝聴してると、なにやら香しい匂いが上の方から匂ってきた。吾輩は、地面にくっついた匂いしか興味がないが、それでもふと顔をあげてみると、花の匂いであることがわかった。それに気がついた男あるじは、「臘梅だな。大寒を過ぎる頃から咲き出す梅の花だ。見てみろ、まるで蝋細工のような花だろう。だから臘梅という。これが咲き出すと春も近い。『臘梅や礼つつましき修道女』という句がある。まるで彫刻のようなこの花の趣がよく表されている。礼つつましき修道女とはうまい表現だな。これは水原春郎が詠んだ。この人は馬酔木を主宰した水原秋桜子の長男と聞いている」
 吾輩は、足を止めて臘梅を見た。たしかに、黄色くて堅い感じのする小さな花だった。華やかな花ではないので、礼つつましくというのは理解できたが、これから修道女を連想するとはさすがに俳人だなと男あるじを見上げた。男あるじには思いもつかない発想だ。でも花を修道女の装いに表現して的確だな。

「三寒の四温を待つか犬伏せり」 敬鬼