五月も中旬、木々の緑もいっそうその濃さを増してきた。樹木の葉っぱの成長は眼を瞠らされる。欅などは枝枝が芽吹きはじめると、見る間に木のてっぺんまで葉に覆われてしまう。その成長力は見事だ。わが庵から公園に植わる欅、桜、フタツバタゴ、ニセアカシヤを眺めながら、いつしか吾輩は寝入ってしまった。
 しばらくして目を覚ますと、女あるじが洗濯物を干していた。吾輩が目覚めたと知ると、女あるじは吾輩の頭を撫でに寄ってきて、「クウちゃん、起こしてしまったかしら、気持ちよさそうに寝ているのでなるべく音を立てないようにしていたのに、ごめんね。それにしても、暑からず寒からず、そよ風も吹いて気持ちの良い日だね。家の樹木である野村もみじ、木蓮、花水木、棒樫、つつじ、貝塚伊吹も葉を茂らせてきたわ。樹木の緑は心を落ち着かせるわね。まだ、蚊や蠅などの虫も寄ってこないし、いつまでも庭にいたくなるわね。クウちゃんは、昼日中は縁の下で過ごすので、この季節は極楽でしょう」と話しかけた。
 そこへ、話し声を聞きつけた男あるじもやってきて、
「『目には青葉山ほととぎす初鰹』がすぐに口に上るな。これは江戸初期の俳人山口素堂の吟詠だ。眼、耳、口の感覚器官でこの季節を語呂良く吟じていて、覚えるのも容易だ。青葉と鰹はいまでも身近なもので今が旬だが、ホトトギスは山に分け入らなければ聞けなくなった。ホトトギスは『キョッキョッ キョキョキョキョ』と甲高い声で鳴くのですぐに聞き取れる。『特許許可局』とか『テッペンハゲタカ』などと聞き入れされるのもよく知られている」と話しかけてきた。
 女あるじが、
「ホトトギスといえば、百人一首に、『ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる』があるわ。たしか後徳大寺左大臣つまり藤原実定の和歌で、この人は平清盛の全盛から没落の時代の生証人といわれるわね。この歌には、平家の隆盛と衰退が背景にあるわよね」と応じた。
 吾輩は青葉は眼にするが、ホトトギスも鰹も聞いたことはないし、味わったこともないので、男あるじと女あるじの話をただ拝聴するのみだった。男あるじは、
「ホトトギスは俳句にも詠まれているぞ。芭蕉は『木隠れて茶摘みも聞くやほととぎす』と詠んでいる。漱石にも『鳴くならば満月になけほととぎす』がある。ホトトギスは、明治期でも町中でその鳴き声を聞けたのだ。もっとも、これらの句は『鳴かぬなら殺してしまえホトトギス』、『鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス』、『鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス』の川柳ほど有名ではない。戦国時代の三英傑である信長、秀吉、家康の性格を言い表したもので、本人が詠んだものではない。『甲子夜話』に出てくるが、これは江戸時代後期に肥前国平戸藩主の松浦静山により書かれた随筆集ともいうべきものだ。シーボルト事件や大塩平八郎の乱などについての記述もあるというぞ。鳴かないホトトギスを三人の天下人がどうするのかを川柳に託したもので、詠み人知らずとしているが言い得て妙である」と結んだ。
 吾輩は、話題が青葉、鰹、そしてホトトギスまで飛んだので話にはとてもじゃないがついてはいけなかった。でも、この季節は吾輩の視覚、聴覚のみではなく嗅覚をも刺激する一年でも最適な気候であることは断言できる。

「田にれんげ土手にたんぽぽ靴がなる」 敬鬼

徒然随想

- 皐月も半ば