山茶花の咲く季節になった。わが輩が居候する家の庭の南側の生け垣には、山茶花が植えられていて、この季節になると淡い赤色の花を次から次へと咲かせる。小春日和、日溜まりで寝そべりながら薄目を開けてみるそれらの花は美しい。といっても、わが輩には色は見えないので、その形とそこはかとない匂いを愛でることになる。もみじ、銀杏、欅、桜の葉っぱが紅葉し、そして落葉してしまうと冬枯れの景色となるが、そんななかで、山茶花は寒椿と共に景色に彩りを添えてくれる。 女あるじも、洗濯日和とばかりに洗え終えた洗濯物を抱えて庭に出てきた。そして生け垣に咲き出した山茶花をみて、
「クウちゃん、きれいだね。クウちゃんは日がな一日、この山茶花を見ていられて幸せだわ。洗濯も掃除も、そしてお三どんもせずに飽かず眺めていられんだものね。代わってくれないかしら。せめて一日でも、のんびり日向ぼっこをしていたいものだわ。亭主ときたら、何もしないし、いったい誰のお陰で暮らしが成り立っていると思うのよ」と愚痴をこぼした。何やら雲行きが妖しくなってきたなとわが輩は狸寝入りを決め込むことにした。こんなときには、男あるじはけっして庭には出てこない。この点は、男あるじの嗅覚は天性のものがあるようだ。 
  女あるじは、それでも陽気が気持ちよいのか、すぐに機嫌をなおして、鼻歌交じりで洗濯物を干し出した。薄目を開けて見るともなく、干し物が干されていくのを眺めながら、本当に寝入ってしまった。
  足音で目覚めると、男あるじが立っていた。もちろん、女あるじは買い物に出ていない。どうも、それを見届けて自分の書斎から庭に出てきたようだ。さっそく、山茶花を眺めて、

「美しいものだな。自然の造物主のデザインはとうてい人間の力のおよぶところではないな。山茶花のように、寒さに立ち向かって華やかにしかも愛らしい花をデザインするかと思えば、三色菫のように可憐な花も造物主は造作する。あの子規も『山茶花のこゝを書斎と定めたり』と山茶花をいたく愛でている。きっと、書斎の窓越しにひたむきに咲く山茶花をみると、落ち着くことができたのだろうよ」と語り出した。
 そういえば、歌謡曲にも『さざんかの宿』というのがあったなとわが輩は思い出した。吉川治の作詞で、市川昭介作曲で一世を風靡した。そのなかに『赤く咲いても冬の花、咲いて寂しいさざんかの宿』という一節があり、もの悲しいメロディにのっていっそう、その愛惜を増していた。どうも、山茶花の花は、花言葉にあるように、『困難に打ち勝つ』、あるいは『ひたむきさ』といったことを連想するようだ。
 こんなことをつらつら思っていたら、男あるじは、
「いや、いや、山茶花はもの悲しいことばかりを連想させはしないんだぞ。あの子規先生は『山茶花に犬の子眠る日向かな』、あるいは『山茶花を雀のこぼす日和哉』といった俳句を作っている。どうだ、いまのお前にぴったりの句だな。山茶花は日当たりの良いところで育つから、山茶花の咲いているところは日なたになる。お前のような無為徒食のものが惰眠をむさぼるに格好の場所というわけだ。子規先生の慧眼というべきだ」と結んだ。
 わが輩は、「恐れ入りやした」と頭を下げた。たかが山茶花の花、されど山茶花の花だな。

「山茶花を あくびして見る 日和よな」 敬鬼

徒然随想

     山茶花−