徒然随想

-線香花火−
  夏を惜しんで行う花火は風情があると、わが輩も思う。火はそれほど怖くないので、楽しめる。この家の者は、皆、花火好きである。なんでも、子どもが小さい頃に、隣家の子どもたちと、毎夜のように玄関前の道路で遊んだようだ。率先して花火に興じたのは、子どもたちではなく、この家の男あるじだったらしい。
「そうだぞ、花火も夏の風物詩の欠かせないもののひとつだな。手持ち花火に点火すると、いきおいよく花火が飛び出る。一瞬にしてそこだけ明るくなり、子どもたちの顔を照らす。そして、十数秒で消えてしまう。この短い火を見るのが愉しいし、またはかない感じをもたらす。花火は、いまここにあるが、しかし次の時には消えてしまう。どうということはないけれども、なにかしら時の移ろいを実感させるところが人を引きつけるのだな。こんな感じはお前にはわからんだろうな」と男あるじは柄にもなくしんみりと話し出す。
 どうやら、今夏も盛りを過ぎ秋に近づいているので感傷的となっているらしい。そういえば、蝉の声も油蝉からツクツクボウシに変わってきたし、ときどき赤とんぼも見るようになった。わが輩も、この暑くるしい夜から秋の虫が鳴く涼やかな夜へと移ろうのを待ち望んでいるが、しかし夏が過ぎていくのは名残惜しくもある。「そうだろう。おまえもそう感じるだろう。おまえも老い先が短いので、たっぷりと夏の香りを味わっておくことだな。さて、花火のフィナーレを飾って、線香花火に点火するとするか。これこそ、はかなさを感じさせる極めつきの花火だな。点火するぞ。ほら、先に真っ赤な玉ができただろう。これを牡丹という。動かすと玉が落ちてしまうので、じっとしている。ほら、玉から激しく火花が出てくるぞ。シャシャシャと火玉から星がはじけるように、あるいは松葉の流れるように火花が出てくる。ここが線香花火の盛りだな。そして火花の出がゆっくりとなり、柳の葉のように細くなる。最後は火玉がやせほそってぽつりと落ちて消える。そうなんだ。この花火は、こよりに黒色火薬をつめただけの簡単なものだけれども、風情がある。まるで、人の一生を見ているようだな」と男あるじは、線香花火を見つめながら、なにやら自分の半生を思いやっているようだ。
 わが輩は、中国製の花火であるドラゴンが豪快に火花を吹上げるさまやネズミ花火がくるくると回転し最後にはじけるのを見る方が好きだな。もっとも、あの爆竹はご免だ。なにせ、聴覚が鋭敏なわが輩にとって、あの爆竹がはじける音は、轟音に聞こえる。まあ、何はともあれ、花火にまで人生を感じるとは、男あるじも歳をとったということだな。人生の盛りが過ぎ、線香花火で言えば、火玉が衰えて柳の葉っぱのような細い糸を引くような花火しか出なくなった男あるじの心境もわかるような気がする。こんなわが輩の表情を察して、
「おいおい、そんなに年寄り扱いするな。まるで、棺桶に片足が入っているような物言いだな。線香花火をよくみてみろ。火玉が衰え、いまにも落下しそうになっても、最後にちょっと華やいだ火花を飛ばすだろう。あれと同じだよ。人間は、最後にひと花咲かそうと努力するものでもあるのだぞ」とつぶやく。
 そうか、まだ枯れきってはいないのだな。まあ、行き着くところまで悪あがきをすればよい。そのうちに、わが輩の高等遊民というべき高尚な心境に思い到るだろうよ。

「夏の闇 線香花火 火照りけり」 敬鬼