この家の男あるじも女あるじも、このところ、幸福がどうのこうのとか、不幸がどうのこうのとかで口論しているらしい。わが輩も「あっしには関係ないことでござんす、いまは、それなりに幸せですから」と関わり合わないようにしていたが、女あるじに言い負かされたものと見えて、昼下がりにわが輩を相手に問答をし出した。
「おまえはどう思うか。幸福とは『その人が自分は幸福だと言えば幸福』なのか、それとも『その人自身が幸福だと思い、同時に他の人もその人は幸福だとみたときに幸福だ』といえるのか、いったいどちらなんだろう。女あるじ幸福は主観的な思いなので、その人が幸福だと言えば幸福なのだとは主張する。しかし、わしは客観的な裏付けがなければ、たとえその人自身が幸福だと感じていても幸福とはいえないだろうと主張したわけだ。そうしたら、女あるじは、欲望にとらわれず貧しくても心豊かであれば、それが幸福なのよと断じた。まあ、一理あるなとわしも感じたが、釈然としないものも残るな。この考え方に従えば、橋の下で生活していても幸福だということになるが、どう思うか」と男あるじは訊いてきた。
 わが輩は、逆質問を試みた。
「それでは、もし経済的、物質的に恵まれていれば、その人たちはみなさん幸福なのでしょうか」
男あるじは、
「もちろん、幸福だと感じている者もそうでないと感じている者もいよう。要は、経済的に豊かであれば心豊かであると感じる人の比率が高くなると言うことだ。言い換えれば、経済的に困窮すれば、幸福と感じる人の比率が低くなる。あの18世紀のイギリスの経済学者ベンサムも『個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、ゆえに社会全体の幸福を最大化すべきである』と述べている。これが有名な『最大多数の最大幸福』論だな」と答えた。
 経済的状況と幸福度との関係を調査をすれば、男あるじのいうような結果が得られるだろうなとわが輩は思った。しかし、幸福は、その人がどのように感じているかという主観的判断によるので、究極的にはそのひとの経済的、物質的基盤に影響されないはずと、わが輩は考えた。早い話、わが輩には、家も、仕事も、家族もない。当てがい扶持を与えられ、多くはリードで繋がれて自由も拘束されている。でも、飢えることもないし、叩かれることもないし、強制労働させられることもない。日がな一日、朝の散歩、昼寝、そして夕方の散歩を楽しみとして一日がつつがなく過ぎていく。女あるじと娘あるじは、長年の暮らしを通してわが輩のしもべに位置づけることができたし、本人たちもそんなふうに自覚し喜んでているので問題は無い。ただひとつ、男あるじだけは、わが輩のそんな意図を見透かして、わが輩の意のままにならない。それさえ我慢すれば、これ以上の境遇は望むべくも無いだろう。まあ、自分では、幸せか不幸せかと問われれば、幸せだと答える。
 わが輩のこんな考えを察知した男あるじは、
「おまえはまるで、古代ギリシャの哲学者ディオゲネスのようだな。この人は、自分の欲望から解放され、それにとらわれることなく樽の中で生活することを選んだというからな。もっとも、確たる哲学にもとづいて樽の中の生活を選ぶのと、仕方が無く無為な生活をするのとでは雲泥の違いがあるな」と訳がわかったような、わからないようなことをつぶやいた。わが輩は、その人が幸福だとおもえば幸福だといえるという信念はゆるがないと、この際、あらためて確信した。しかし、他のイヌから見たら、はたして幸せに見えるのかな。

「小春日和 ぼくといぬとで 日なたぼこ」 敬鬼

徒然随想

     幸せと思えば幸せか