梅雨も終わり、夏の晴天が広がっている今朝、男あるじは、またまた、古典である方丈記を片手にわが輩の朝寝の場所に出てきた。夏は朝から陽射しが強いので、縁の下にもぐり込んで、まだ爽やかな風にうとうととしていたのに、なにおか況んやだ。繋がれている身の上なので、逃げるわけにも行かず気がつかないふりをしていたが、いっこうそんなことには頓着せずに話しかけてきた。
「昨日は『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず』の冒頭を暗唱したが、今朝は、その続きの名文を暗唱しようと思う。よく聴くのだぞ。『知らず、生まれ死ぬ人、いづくより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目をよろこばしむる。その主と栖と、無常を争うさま、いはば朝顔の露にことならず、或いは落ちて、花残れり。残るといえども、朝日には枯れぬ。或いは花しぼみて、露なほ消えず、消えずといえども、夕を待つ事なし』。どうだ、名文だろう。いや、文章がうまいだけではないぞ、この世の無常を見事に表現している」と男あるじはのたもうた。 わが輩は、青く澄み渡った空、涌きたつ白い雲、緑を濃くした木々の梢、そして力強く茂る草花から、まさに生の謳歌を感じているのに、無常を説くとはこれいかにと眼で問うと、男あるじは、
「そこだよ、まさに生きとし生きるものが生きていることを喜ぶときにこそ、そこに生の衰えが潜んでいると鴨長明も述べている。朝顔の露は儚いものの象徴として取り上げられるものだ。あの太閤秀吉も、その辞世で『露と落ち 露と消えにし我が身かな浪速のことは夢のまた夢』と詠んだそうだぞ。農民の子が太閤となり位を極めたその人が、死に望んでは一介の人となり、端から見ると波瀾万丈の人生を、露に例えている。生まれるときも一人、そして死ぬときも一人。いづかたへ去るのか。仏教では極楽か地獄、キリスト教でも天国か地獄が想定されている。でも、誰もそこから帰ってきた人はいないので、そういう場所があるのか無いのか知らずというわけだな」
 うーん、なんとも辛気くさいな。わが輩は老輩だが、それでも夏は生を謳歌したいものだと思っている。わが輩のの人生、いやイヌ生を露に例えられたのではかなわない。そんんなにみみっちものではないし、はかないものでもない、と自負したい。ふぃーんふぃーん、と鼻を鳴らすと、男あるじは、
「それも一理だな。どこから来てどこへ去るのかなんて考えても意味ないというのも理解できる。それよりは、今生きていることを尊ぶべしだな。西東三鬼は『おそるべき君等の乳房の夏来る』と詠んでいる。夏になり、薄着になり、いやでも眼にゆく女性の乳房に生の謳歌をみている。夏の陽光を浴びて輝く若い女性の乳房はまぶしくもあり、うらやましくもあり、また老いた身には乳房に象徴された生の活力が恐ろしくものと見えたのであろうか」と話し終えた。 わが輩は、ようやく、我が意を得たりとフフフィーンと鼻を鳴らして賛意を表した。確かに、生ははかなくい面をもっている。『明日に紅顔ありとも夕べには白骨と化す』のも真実だ。だが、わが輩は生きている限り、生を、性を、そしてイヌ生を謳歌したいものだ。

「孫の笑み 噴水のごと 夏詠う」 敬鬼

徒然随想

-知らず、生まれたる人、いづくへ-