吾輩はまだ命ながら得ている。これは娘あるじが冬休みの期間、献身的に世話してくれたお陰だ。かかりつけの動物医院の医師によれば、吾輩は尿毒症になっていて、その毒が脳に達して脳痙攣を起こしているとの診断で、血液中から尿毒を除去する薬を処方された。それを3日飲んだら体調が戻ってきた。われながら薬の効果にはびっくりぽんだ。もっともこれは朝ドラの主人公の口癖を拝借したものだ。娘あるじは、夜も、吾輩がひっそりと息を引き取るのではないかと心配し、吾輩の隣に布団を引いて寝てくれている。吾輩としては少し息が苦しいとフィーフィーと知らせると、身体をさすってくれるので安心だ。そんなこんなで正月も13日、良く長らえている。 そこへ男あるじがやってきた。今日は陽の光を浴びて温まっているようだ。少しは体調も持ち直して頭もあがるようになってきたな。まあ、幾日になるかわからないが生きていることを楽しむが良いぞ、とのたもうた。吾輩は、
「いつまでも生きながらえていてすいません。まあこれもなにかのご縁ですから見守ってやって下さい」と下手に出てフィーンフィーンと鳴いた。男あるじは、
「ところで13日はどういう日か知っているか」と吾輩の顔をのぞき込んで尋ねた。吾輩はなんの日なんて知るよしもないので知らん顔をしていたら、
「私の誕生日だ。72歳になる。つまり年男なんだ。今年は申年、私も72年前の申年に生まれたわけだ。まあ六回目、数えでいうと七回目の年男ということになる。昭和の御代で言うと19年、敗戦前1年半だから戦況は負け戦が濃厚となり、生活も苦しくなってきた頃にあたる。テニアン島の日本軍玉砕、グアム島の日本軍玉砕、レイテ沖海戦、戦艦武蔵沈没そしてあの神風特別攻撃隊がレイテで初出撃した。連戦連敗を重ねていた年に生を受けたわけだな。昭和20年には空襲がはじまり、国土は焦土と化した」とつぶやいた。
 吾輩は、明日をも知れぬ命のときに72年前の話をされても答えようがないので、首を腹の近くに突っ込んで黙して聞いていた。男あるじは、
「次回の年男というと12年後だから御年84歳となる。まあ、今のおまえと同じように息も絶え絶えとなっていることだろう。そうおもうと、今のおまえの状態には身に詰まらされるな。生きとし生きるものは永遠には生きられないのだから、いつかは終末を迎える。心しなければ」と話し終えた。そこえ、女あるじが様子を見にやってきた。
「クウちゃん、おしっこしていない。どれどれ、おしめシートが濡れているみたいだね。代えてあげるわね。クウちゃんはシートが湿って冷たいと嫌なんでしょう。垂れ流しでいいんだよ。すぐに交換するからね」と言って新しいシートを寝床に敷き始めた。
 吾輩は恐縮して縮こまっていた。下の世話をさせたくはないが、なんせ足腰が立たなくなってしまったのでどうしようもない。そうかといって水を飲まないわけにはいかないので、飲むとしっこが出る。人間ならば両手を合わせて拝むところだが、それもならず、ただフィーンフィーンと感謝の意を込めてないた。
 黙ってシート交換を眺めていた男あるじは、
「犬も終末期は大変だなとつぶやき、おまえは幸せだぞ、自宅でこんなふうに介護してもらえるのだからな。なにはともあれナンマイダブ、ナンマイダブ」と意味不明なことをつぶやいて出て行ってしまった。やれやれ、それでは陽の光を浴びて束の間の命を愛おしもうと思った。

「葉ボタンやならんでみんな笑顔むけ」 敬鬼

徒然随想

七度目の年男