この家の息子は、いまマニラに長期赴任しているようだ。わが輩にとっては、息子が海外に滞在していることは大いに歓迎だ。というのも、息子夫婦が海外にいると言うことは、わが輩の当面のライバルである孫も海外にいってしまったことを意味し、この家の愛玩対象として独占状態に戻ることになるからだ。一方、男あるじや女あるじ、そして娘あるじにとっては、孫と遊べないことはゆゆしいことらしい。わが輩が代わりを精一杯相務めますからと眼で鼻で尻尾で訴えても、それとこれとは違うとばかり、とんとわかってはもらえない。  夕方は、わが輩もお気に入りの縁の下の庵から、家のリビングにお邪魔するのだが、最近、この家のものは、ときどき、パソコンで遠くにいる孫と通じているらしいことがわかった。なんでも、スカイプというソフトだ。マニラと連絡する際にはスカイプすると言う。今夕も、男あるじが、これからスカイプすると大声で家の者に告げた。しばらくすると、電話の呼び出し音のようなものがなりだし、マニラに居る息子が出たようだ。このソフトの優れているところは、映像を映し出すことにある。そう、早く言えばテレビ電話といってよい。
「あ~、てっちゃんだ。笑っている。いちだんとかわいらしくなった」と男あるじが叫んだので、女あるじも、手を拭き拭きしながら、
「ほんとに、まだ別れて一週間しか経たないのに、ますます愛らしくなったわね。健康そうで、元気なので安心だわ」とほっとした顔で応じた。娘あるじも、
「てっちゃん、おねえさんだよ。あらあら、こっちを向いて笑っている。やさしいおねえちゃんを覚えているんだわ」と悦に入っている。
  どうやら向こうも夕飯時で、てっちゃんを乳児専用のイスに座らせ、横にママがついて離乳食を与え、その横でパパであるこの家の息子がお好み焼きやカボチャのサラダを食べているらしい。わが輩は、フィリッピンのマニラの息子夫婦の食卓と日本のこの家の食卓がつながっていることに不思議な感じをもった。これまで人と人、人とイヌとがつながるというのは実際に手の届くところで相対しておこなうものだったからだ。男あるじも、スカイプでのやりとりが一段落したとみえて、わが輩のこの違和感に気づいたようだ。そして、
「そうだろう、不思議に感じるだるのも無理はない。わたしでも、2千キロも離れたマニラとリアルタイムで映像通信ができることを便利だと思う一方で、不思議に感じないわけではない。とはいえ、これも、インターネット通信の普及、パソコンの情報処理能力の飛躍的な進展のおかげだ。パソコンにビデオカメラと音声マイクを取り付け、スカイプソフトをダウンロードすれば、直ぐに利用できる。しかもだ、このソフトはフリーソフトなので無料であるし、マイクロソフトが開発したインターネットのpeer to peer 通信技術を介して通信するので通話も無料なのだ」と男あるじは解説した。
  わが輩相手にこんな解説をしている間に、女あるじはまさに眼に入れても痛くないであろうてっちゃんを相手に遊んでいた。『いないいないバー』をしているらしい。こちらで『いないいないバー』というと、てっちゃんがテーブルの下にしゃがみこんで顔を隠し、次に伸び上がって顔を見せ笑っているのが、わが輩にも画面を通して映っているのがわかった。なるほど、ライバルとはいえわが輩にもかわいらしく思えた。それにしても、これは新しいコミュニケーションといえるのだろうか。それともあくまで擬似的なものなのか。対面して会話したり、触れあったりするのと同じ心理的な効果があるのか、ないのか。わが輩はこんな問いを男あるじにしたが、男あるじもわからないとみえ、わが問いを無視し、スカイプに夢中になった。

「秋空を スカイプで飛ぶ 孫の笑み」

徒然随想

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