GNH』って何か知ってるかと、藪から棒に男あるじは訊いてきた。わが輩は、『GNP』なら聞いたことがあるが、『GNH』なぞ聞いたこともない。きっと、『GNP』の間違いだろうと答えると、男あるじは、
「『GNP』は国民総生産のことだが、『GNH』は国民総幸福のことをいうのだぞ。どうだ、知らなかっただろう」と、勝ち誇ったように哄笑した。もうじき古希だというのに、幼稚といおうか稚気あるというべきか、わが輩も苦笑した。そこで、わが輩も『GNH』とはなんざんすかと、下手に出て訊いてみた。
「うん、いま、ブータン国王が日本を公式訪問しているが、これは先の国王が提唱した概念だそうだ。『GNH』とは国全体の幸福の指標をいう。つまり、経済的な豊かさではなく、心の豊かさの尺度といってよいな。ブータンは、『GNP』を高めるのではなく、『GNH』を高めることを国の基本的な政策としている」と男あるじは知ったかぶりに付け焼き刃で答えた。
 わが輩は、これを訊いてびっくりした。どこの国でも、どこの家でも経済的豊かさを求めて日々努力しているものだと漠然と、いままで思っていたからだ。なぜなら、経済的豊かさが物質的豊かさをもたらし、それが心の豊かさをもたらすはずだからである。『GNH』という考え方によれば、それがそうでもないらしい。経済的に豊かになっても心の豊かさを必ずしももたらさないと、この考え方の背景にはある。確かに、経済的に豊かになるためには、過度な競争、資源の過大な消費、働く時間と家庭的時間のアンバランス、そして過剰なストレスなどを我慢しなければならない。とくに、バブルが弾けた日本の現況は、経済的に豊かであり、かつ心の豊かさをもつ幸せな人々は減り続けている。
  そこで、わが輩は『GNH』という指標は、どのような要素から評価されるのか、再度、訊いてみた。男あるじは、2階にあがってパソコンを立ち上げ、さっそく調べにかかった。そして、
「わかったっぞ。『GNH』は 『心理的幸福、健康、教育、文化、環境、コミュニティー、良い統治、生活水準、自分の時間の使い方』の9つの構成要素から評価される」と答えた。
  そこで、『心理的幸福』なんぞという主観的な要素は測れるんでしょうかと素直に尋ねたところ、
「それは難しい質問だな。だが、工夫すれば、百パーセント客観的というわけにはいかないが、それなりの幸福度を測定できる。たとえば、自殺率、あるいは悩みがある人の比率は国民的な幸福度を表すとして利用できる。これらについては厚生労働者や内閣府の調査がある」  わが輩は、なるほど、『GNH』を評価できないことはないのだなと考えた。それにしても『TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)』に象徴的なように、太平洋を取り巻く国々の経済競争は、各国の間で激しさを増す状況にある。こんな時代に『ゆとりある生活』とか『心豊かな時間』を追求できるのだろうか。
  なんにしても、人間様の世界は大変なようだ。わが輩たちイヌの世界では、時間はゆっくりと流れているし、ポスト争いもないし、学歴も学閥も関係しない。唯一関係するのは閨閥つまり血統だが、わが輩のように雑種として生を受ければ、それも競い合う必要もない。ご主人様の機嫌をとらなくても、ご主人様がかってに、わが輩を家族として遇してくれ、いまや下にも置かない立場を占めるまでになっている。どれどれ、昼寝の続きでもするかな。居候のみでは大きな声では言えないが、わが輩こそGNHが高いのかもしれないな。

「小春日や これが幸せ 夢ごこち」 敬鬼

徒然随想

     国民総幸福(GNH