徒然随想

 一学期の終業式があり、子どもたちが炎天下、家路についたようだ。吾が庵から見える公園でも賑やかに遊ぶ子どもたちの声がする。吾輩は33度という猛暑を耐えるために風の通り道でうつらうつらしていると、そこへ男あるじもやってきた。
「子どもの声が元気に声を出して遊ぶ様はこの炎天を吹き飛ばすような強さがあるが、それだけうるさくもあるな。大勢の子どもたちの歓声が上がると、おちおち読書してもいられないな」と男あるじはぶつくさつぶやいた。
 だからといって、怒鳴り込む気はないようだ。男あるじも次代を担う子どもたちには寛容なところがある。「わたしの小学校時代は、はるかな昔、そうだな60年近くも前のことになるが、もうじき夏休みがくると思うと、わくわくしたものだ。お正月とはちがって大いなる開放感が夏休みにはあったような気がする。とにかく夏休みは長いこと、そして海や山、そして温泉に連れて行ってもらえることだ。そのころの我が家の近くには川があったので、ハヤやウグイ釣りに出かけるのも心が騒いだ」と話し出した。
 吾輩はまたお得意の回顧録が始まったと、男あるじの顔を見上げると、
「そうかお見通しだな。わたしも年をとったようだ。しきりに子どもの頃を思い出す。しかも、みなそれらは楽しいことばかりだ。小学校の45年頃もっとも夢中になったのは、虫取りだ。虫はアブラゼミ、ミンミンゼミ、アゲハチョウ、それにギンヤンマやオニヤンマなどだ。そうそう、キリギリスやバッタも捕まえた。セミは樹木や電柱に止まっているのを捕虫網で捕る。これは容易だった。鳴いているセミをみつけ、音を立てないように忍び足で近づいて網をかぶせる。もっとも逃げ去られると、なぜかゼミからおしっこをかけられた。このおしっこが眼に入ると目が見えなくなるなんて言い合ったりした。子ども同士でセミ捕りの下手さをからかったのだ。オニヤンマはめったに捕まえられなかった。ある年、温泉に家族で行き、昼過ぎに湯につかっていたら室内にオニヤンマが入ってきて出られなくなった。さっそく捕虫網で捕らえ、その見事な金色の肢体、青緑の眼そして大きな透明な羽を見て感激したことを思い出すな」と男あるじは遠くをみやった。
 こんな回顧談を聞くと、男あるじも吾輩に劣らず歳を重ね、今日に至っているようだ。吾輩は幼少期を思い出すことはない。思い出そうとしてもその頃の映像が出てこないからだ。言葉がないので映像として出てこなければ、過去はわが輩の心には止まっていないことになる。吾輩イヌたちは、過去-現在-未来という時の流れのなかで現在のみのなかで生きているからだ。つまり、今あることが一番肝要とみなしているからだろう。これに較べると人間たちは、過去に強く縛り付けられているらしい。
「夏と言えば、サイダーだな。サイダーというのは清涼会社の商標なので、ソーダ水といった方がよいな。夏になると母親がビールと一緒に酒屋から届けてもらい、それが冷蔵庫で冷やされていた。母親もソーダ水を子どもたちが一番喜ぶことを知っていた。もちろん、そればかりを飲むと健康に悪いので麦茶も用意されていた。これも子どもが飲みやすいように、砂糖が入っていた。でもソーダ水はこどもには甘露だった。毎日1本、しかも兄弟3人で分けるのが決まりだった。ガラスのコップに注ぐと、泡がシュバシュバと立ち上がり、パチパチと跳ねる。一口飲むと、口の中でも泡がはじけた。そして冷たいものが喉を濡らす。暑さを忘れる冷たさと甘さだった。『一生の楽しき頃のソーダ水』という俳句がある。これは富安風生のものしたものだが、あの終戦後まもなくのソーダ水は、一生のうちでも楽しい思い出として残っている」と語り終えた。

「ソーダ水幼き日々の夏甘露」敬鬼

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