徒然随想

それを言ちゃおしまいよ!
 娘あるじは、「今日から夏休み!」とうれしそうだ。もっとも、夏休みなのは児童や生徒であって教師には夏休みはないはずだけれども、授業がないと心も軽くなるらしい。わが輩は、捨て扶持ならぬ養い扶持をあてがわれているので、年中夏休み、毎日が日曜日という大層なご身分である。
  こんなことをぼんやりと夢想していると、男あるじが書斎から降りてきて、しげしげとわが輩のしまりのない顔と垂れた尾っぽを眺め、したり顔でつぶやいた。
「おまえは、この家の寅さんだと思っているのではないだろうな。あの寅さんは、シビアな生活のもと厳しくて辛い人生を生きていたんだぞ。年中、旅をして気楽な稼業に見えるけれども、テキヤの仕事は厳しい。テキ屋というのは、的屋ともいい、矢が的に当たるように一攫千金を夢見るような稼業に名づけられたが、実際は、夏祭りや寺社の縁日で露天を出しておもちゃや食べ物を小商いをする人を言うだな。夏休みで人が遊んでいるときに大道で商売をしなければならないので、それはしんどくてくたびれる稼業だ」
 なるほど、それはそうだな。自分の食い扶持は自分で稼がなければならないので、わが輩のように、完全に多給多足の生活とは訳が違うな。もっとも、わが輩も、この家でけんかが起きたときなど、出番である。大抵、大声を出すのは女あるじなので、しっぽを振り、じゃれつき、それでも駄目なときは顔を舐めたり、吠えたりする。もっとも、このあいだはちょっとやり過ぎて、鼻を舐める代わりに囓ってしまった。これには、女あるじも、わが輩もびっくりしたな。まあ、そんな失敗もあるけれども、わが輩はこの家でイヌも喰わないけんかが始まったときのなだめ役、つまりは福の神というわけだ。不思議なことに、わが輩が頬ずりすると,大声で喚くのはおさまり、大抵、ほどなく騒動は沈静する。
  男あるじは、そんなわが輩の顔を注視し、「そうだな、お前もまったくの捨て扶持という訳ではない。それなりに、我が家の平穏、平和に貢献していることは認める。寅さんの家では『さくら』さんの役割だな」とつぶやいた。わが輩は、
「これは、たまげたな。どういう風の吹き回しかな、わが輩の本当の役どころを認めるとは」と鼻をならした。男あるじは続けて、
「寅さんは、おいちゃんやタコ社長とささいな口げんかが昂じて本当のけんかとなり、おいちゃんが『おまえのようなやつは帰ってくるな』と怒鳴る場面が必ずあるだろう。それに対して、寅さんは、『それを言っちゃおしまいよ!』とふてくされ、トランクを片手に旅に出て行く。そのあとを『さくら』が追っかけるのが常道の筋になっている」
わが輩はわかったようなわからないようなあいまいなフィーンで応えると、男あるじは、
「おいちゃんの家では、『さくら』が居ることで、けんかが起きてもなんとか円満に治まっている。最近、日本の家族は夫、妻、そして子どもで成り立ち、いわばそれぞれが最少の役どころしかもっていないし、身内とのつきあいも少ない。何かあっても、『さくら』のような役どころをする人がいなくなってしまったわけだ。かっては、おじさん、おばさんが近所にいて、聞き役、宥め役、けんかの仲裁役、あるいは賢人的な役どころを果たしていた。そんな人たちが身近にいないので、一旦、けんかが発生すると、破綻してしまうのだな」
  わが輩は、なるほど、最近の我がペット仲間は、家族の平和を維持する重要な役どころをゆだねられているのだな。それなら、大いばりで朝寝、昼寝、そして夕寝をむさぼってもよいことになるな。わが輩は、いつも問題を起こす寅さんと違って幸せだ。
何だと、それを言っちゃおしまいよ

「大の字に寝て涼しさよ寂しさよ」 一茶