春は名のみの風の寒さやを地でいくような悪天候が続いている。雪こそ降らねど、風は身を切るように冷たい。一日晴れて暖かくなったかと思うと、翌日は氷雨となる。これも春への胎動なのか。わが輩は、日中、庭に出されるのでこんな不順な天候が続くと、寒い上に気が滅入ってくる。  庭のお気に入りの片隅でまるまって寒さに耐えていると、男あるじが、『春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと声も立てず 時にあらずと声も立てず』と濁声で歌いながら、わが輩のところにやってきた。
「寒そうだな。今日は風が冷たいな。この歌は、早春賦という。早春を詠ったもので、春が2歩前進し1歩後退しながら、訪れる様をよく表現している。春は名のみとはうまいフレーズだ。これが秋は名のみの風の暑さよでは様にならないし、谷の鶯歌は思えど、時にあらずと声も立てずなんてフレーズもうまいことよんだものだ。この歌の2番もよい。『氷融け去り 葦は角ぐむ さては時ぞと 思うあやにく 今日も昨日も 雪の空 今日も昨日も雪の空』と詠っている」と、ふるさとを偲びながら語り出した。
  そうか、男あるじは信州の山ザルだったな。信州は寒いところと聞いている。たしか、桜は4月下旬にならないと咲かないそうだ。そのかわり、桜も梅も、杏も、りんごもいっぺんに咲くらしい。まさに春爛漫の豪華な光景だろうな。
 「この歌の作曲家は中田章という人で、『雪の降る町を』『夏の思い出』を作曲したことでよく知られている中田喜直のお父さんだ。それでは作詞は誰かというと、吉丸一昌という人だ。長野県大町市から穂高にかけての安曇野あたりの早春の情景をうたったものだそうだ。あのあたりは、雪は少ないが寒いところだからな。晴れれば雪をかぶった常念岳から大天井岳、燕岳、白馬岳が紺碧の空を背景にくっきりと浮かんでみえる。しかしそこから吹き下ろしてくる風は3月ではまだ大変冷たい。この歌の3番では、『春と聞かねば 知らでありしを 聞けば急かるる胸の思いを いかにせよとのこの頃か いかにせよとのこの頃か』と詠い、春を焦がれる気持ちを素直に出している」と男あるじは語った。
  わが輩も春が間近だと聞けば、いっそう春をを焦がれる気持ちが強くなり、冬に逆戻りと聴けば、さらにいっそう春が待ち遠しくなる。これは人情、いや犬情でもある。
「日本の歌百選というのがある。これは一般から募った895曲のなかから、101曲が選定されたもので、日本の昔からある風景、風習、文化的行事、母子関係などを詠ったものになっている。まあ、親子で長く歌い継いでほしい童謡・唱歌や歌謡曲といった叙情歌や愛唱歌集といったものだな。2006年(平成18年)に日本の文化庁と日本PTA全国協議会の肝いりによるもので、現代版の日本の歌唱集といった趣がある。早春賦もこのなかに入っている。ほかにも、赤とんぼ、小さい秋みつけた、里の秋、夏の思い出、浜千鳥などが入っているし、舟木一夫の高校3年生とか中島みゆきの時代なども入っている」と話し終えた。
  そうか、わが輩には歌はわからない分野のひとつだ。ただ、遠吠えをするときなんぞ、高く低く、そして裏声を出したり、またヨーデルまがいにのどをころがしたりすると、ここち良くなることはわかる。きっと、人間どもの歌もこういった類から発達したのだろうな。 

「朝明けの 陽の強さにも 春は来ぬ」 敬鬼

徒然随想

-早春賦-