風が気持ちの良い季節がきた。わが輩は、この時期の風を一等好む。なんと言ったらよいのだろうか。そよかぜ、微風、春風、薫風のどれかだろう。やっぱり、そよ風だ。こんなことを思いながら縁の下でそよ風に吹かれて、うつらうつらと春眠を楽しんでいたら、無粋にもサンダルを突っかけた男あるじがズーズーとサンダル引きづりながらやってきて、「なになに、そよ風が気持ちいいってか。そうか、そんなに厚い毛皮を着ていても、そよ風の気持ちよさがわかるのか」といちゃもんをつけだした。わが輩はいつものことなので取り合わないでいると、男あるじは意地になってそよ風についてうんちくを傾けだした。「風の表し方にはいろいろある。北風、南風、東風などは風の吹く方向にもとづいているし、海風、陸風、潮風、谷風などは風の起こり方に基づいているな。からっ風、春一番、木枯らし、六甲おろし、伊吹おろし、やませなどは地域に根ざした言い方といえる。竜巻、つむじ風、旋風、ダウンバースト、乱気流なんて恐ろしい風は気象条件によっている。英語では、wind breezegalegustがあり、いずれも風をさす。windは空気の動きをいうもので、どの風にも当てはまる。これだけでは英語表現としては芸がない。そこで、breezeという言い方があり、これが日本語の微風にあたるようだな。galegustは強風をさし、とくに後者は突風をいうようだ」と講釈した。
  わが輩は、男あるじのうんちくを拝聴する態をとって、お行儀良くお座りしたまま、別のことを考えていた。というのも、風は匂いも一緒に運んでくる。とくに微風はこれにちょうど良いくらいの風なので、あちこちからわがガールフレンドの匂いがやってくる。わが輩も馬齢いや犬齢を重ねたが、ここの男あるじと同じように、その方面では悟りができず、いまだに悶々とする。とくになぜか春の季節はこれが強いようだ。恋の季節と言えば聞こえがよいが、まあ端的に言えば生殖の季節ということだろうか。わが輩のこんな夢想、いや妄想には気づくことなく、
「そういえば、『みどりのそよ風 いい日だね ちょうちょもひらひら 豆のはな 七色畑に 妹のつまみ菜摘む手が かわいいな』という温かい詞とともに軽やかなメロディの童謡というか、ラジオ歌謡曲があったな。確か、『靴が鳴る』、『叱られて』、『雀の学校』の清水かつらの作詞、『夕焼小焼」、『どこかで春が』、『ゆりかごの』の草川信の作曲によるもので、敗戦後の殺伐とした世に、まさに一陣の微風のごとくに口ずさまれた。わが輩も3歳になるかならずかの頃だが、この軽やかなメロディは記憶に染みこんでいる。童謡作曲家の草川 信は、実は、わが故郷である長野県の松代の人で、母校長野高校の大先輩でもある。
東京音楽学校を卒業、東京で小学校の先生をしながら、雑誌『赤い鳥』に参加し童謡の作曲を手がけるようになったという。ほんとうに、この季節はそよ風が気持ちよいな。まったく、歌われているとおりだ。『みどりのそよ風 いい日だね 遊びにいこうよ 丘越えて あの子のおうちの 花ばたけ もうじき苺も 摘めるとさ』」
  わが輩も、このお説には異存はないので、頭を大きく上げ下げして同感の意を表した。わが輩は全身に毛皮をまとってはいるが、大きな耳、敏感な鼻を通してそよ風を感じることができる。腹回りは毛が少ないので、ここも気持ちよさを感じることができる。本当に、みどりのそよ風とはうまいこと言い表したものだと感心した。そういえば秋頃に吹く微風は何色で言い表すのだろうか、と男あるじを見やると、そそくさと家の中に入ってしまった。

「そよ風や 今日のいのちを 喜べり」 敬鬼

徒然随想

-そよ風