昨日、わが輩はまことにのんびりとして一日を過ごすことができた。というのも、男あるじが終日スキーをしに郡上方面に出かけたからだ。天気も小春日和とまではいえないが、それに近い暖かな日だったので、ゆっくりと日がな一日を思うがままに惰眠をむさぼった。その反動か、今朝は早くから男あるじがお出ましとなり、スキーについて蘊蓄を傾けだした。「野山に雪が降り積もると、下草や灌木を雪が多い一面が雪原となるだろう。それを見たら、その上を歩いたり滑ったりしたくなるのが人情というものだ。スキーはこんな人間の欲求から生まれたようだ。なんと、紀元前2500年ごろの壁画に狩りをする人がスキーを履いた姿で描かれているのがスカンジナビア半島で確認されているし、10世紀から11世紀にかけて、バイキングがスキーを使って行軍したという記録も残っているそうだ」
  わが輩は、足が四本あるので二本足で滑るスキーというものにはまったく関心が無い。もしわが輩がスキーをするならば、前足と後ろ足に二本ずつスキーをはいて滑るのか、前足に二本、後ろ足には一枚のボードのようなものをはいて滑るのか、よくわからないが、どちらにしてもうまく滑れるとは思わない。こんな疑問を持った顔で男あるじをみると、もっともだというふうに肯いて、
「サルがスキーを履いて滑っているのをテレビのニュースで見たことがあるが、もしスキーをするイヌがいれば大ニュースだろうな。まあ、箱状のソリに乗って滑るのがせいぜいのところだな」とのたもうた。
  わが輩は、なんか馬鹿にされた気分がしたので、吠えてやったら、男あるじは、
「おや、怒ったと見えるな、仕方がないだろう。なにせ、二足歩行ができないのだからな。まあ、そう怒るな、これもみな造物主である神がお決めになったことだから」とわが輩を懐柔にでた。わが輩は、人間に対してそんなに卑屈になっているわけではない。わが輩イヌ族は人間より速くしかも遠くまで走ることができるので、走るための自転車は必要が無いだけのことだし、雪原だってスキー板なんぞはかなくても、素早く雪の中を動けるからだ。その点、人間という生き物は不便にできている」と愚考していると、
「うんうん、お前の言うことにも一理ある。ただ、人間は、その不便を発明によって改善することができる生き物なんだぞ。確かに雪原を徒歩では移動が難しい。そこでスキー板とスキー靴という道具を考案し、またスキーを履いて方向を変えたり、制動をかけたりする技術を見つけ出した。まあ、必要は発明の母といったところだ。もっとも、いまのようなスキー技術が開発されたのは20世紀になってからのことだ。なんでも、オーストラリアのヨハネス・シュナイダーという人がアルプスの急斜面を滑降できる技術を開発して教えたのがはじまりだというぞ。ボーゲン、シュテム・ボーゲン、パラレル、ウェーデルンなど、いまではよく知られたスキー技術体系ができあがったという」と話した。
  わが輩は、ここで不思議に感じた。というのも、日本も冬は大量の雪が降り、雪原や雪の斜面ができる。どうして日本ではスキーというものが発達しなかったのだろうか。雪山に入って狩りをする民もいたのだから、斜面を急速に移動する技術があってもよいように思う。どうしてなんでしょうかと男あるじをみながら眼で尋ねると、
「うーん。それがだな、うーん、うーん」とうなって家の中に男あるじは入ってしまった。わが輩は、マタギといわれる狩人は雪原を移動するなんらかの技術をもっていたのだと思う。でもその技術はマタギ仲間の外には伝えられなかったからではないだろうか。技術も公開してこそ発展するものだ。

「雪が飛び、風が耳打つ スキーかな」 敬鬼

徒然随想

-スキーに思う