わが輩は、この仲秋の時期に男あるじと散歩に出るのが嫌である。散歩自体は楽しいのだが、ススキの尾花で顔を撫でられるのが嫌なのだ。あれはわが輩のひげを刺激し、くしゃみを誘う。時々、くしゃみが止まらなくなるので困る。あるじは、ただ、からかっているだけなのだろうが、わが輩にとってはいじめにも等しい。この時期、ススキというのはどこにでもあって尾花をつけているので始末に悪い。わが輩の思いを察した男あるじは、
「いまどきの人は、ススキには目もくれない。せいぜい、お月見の時にお萩や団子の脇にそえるくらいだ。しかし、ススキは秋の七草のひとつに数えられる日本の秋を代表する草なのだぞ。なんでも、山上憶良が万葉集で、『萩の花 尾花葛花撫子の花女郎花(おみなえし)また藤袴朝顔の花』と詠んだことに由来する」と話し出した。またまた講釈が始まりそうだ。
 いまでこそ、打ち捨てられているススキだが、別名を萱といい、稲科の多年草である。萱といえば、すぐに連想するものがあるだろう。そうだ。あの萱葺きの萱だよ。田舎の農家の屋根は、昔は、萱葺きあるいは藁葺きが多かった。いまでも、白川郷の合掌造りの屋根にみられる。萱葺きは、実は、世界各地でみられる。日本でも縄文時代からあったとされる」

 へえ、それはびっくりだな。あんなひょろひょろしたもので屋根を葺くことができるのだ。縄文時代と言えば、いまから15千年前のことだそうだ。わが命は、長くても15年有余だから、気が遠くなりそうな時間だな。平均寿命を15年として算定すると、1000代ほどのご先祖様が命をつなげないと、15千年という時間は続かないな。
「ススキは、このように役立つばかりではなく日本人の美的感覚にも訴えるものがある。1923(大正12)年に発表された演歌に『船頭小唄』がある。これは自分を自虐的に枯れススキに喩えて、当時の日本人に共感を呼んだ。『おれは河原の枯れすすき おなじお前も枯れすすき どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れすすき』と歌い出し。『死ぬも生きるもねえお前 水の流れに何変わろ おれもお前も利根川の 船の船頭で暮らそうよ』と続くんだな。なんとも寂しい歌詞だ。メロデイーも哀調を帯びていて、歌って言えば気が滅入りそうになるぞ。いまどきのことばでは凹んでしまう。作詞は野口雨情、作曲は中山晋平で、その当時の当代一流の人たちによる楽曲なんだ。大正12年といえば、あの関東大震災の発生した年にあたる。死者は105千人余りに昇った。歌自体は、大震災の以前から流行していたが、この大震災が流行に拍車をかけたと言ってもよいな」と男あるじは語る。「そういえば、『人間は考える葦だ』と喝破した人がいたな。フランスの思想家パスカルだ。これの意味するところは、人間は葦のように風にそよぐはかない存在だが、しかしこの葦は考える能力を持っているということだ。あのアインシュタインも、宇宙は神秘に満ちている。しかしもっと不思議なのはその神秘を解き明かそうとする存在があることだと述べているんだよ。この存在は、もちろん、人間のことだ」と続けた。
「ところで、薄と葦は同じ草ですか」と余計なことを尋ねてみたところ。さっそく書斎に調べに戻った。そして、
「薄も葦もどちらもイネ科に属するが、前者はススキ属、後者はヨシ属である。どちらも、河原などに自生するが、ススキの穂は白く、葦(ヨシともいう)の穂は褐色であるようだな。葦の方が背丈が高く茎も丈夫なので、これらを編んですだれである葦簀(よしず)となる。もちろん屋根材あるいは葦笛としても利用されるそうだ。古事記や日本書紀には葦船の話も出てくるぞ」
 なるほど、仙人の長いひげのように、あのひょろひょろと風になびくススキやアシにも、いろいろと言われがあるというわけだな。人間は、これらのイネ科の植物を利用して生活に役立てると共に、それらに風情をも感じてきたようだ。

「われもまた 白穂のススキか 暮れなずむ」敬鬼

徒然随想

  -ススキ(薄)とアシ(葦)