徒然随想

-颱風

  9月も半ばを過ぎ、ようやく朝晩は過ごしやすくなってきた。わが輩も、猛暑の疲れをとるべく、わが庵である縁の下で朝寝と昼寝をむさぼりたいところなのだが、こんな時に限って男あるじならぬ台風がやってきた。今朝方から生ぬるい風がときどき強く吹き、とても朝寝としゃれ込むわけにはいかないので、わが輩も何とかしろと吠え立てたら、娘あるじが珍しくお出ましとなった。わが輩も、こんな時には誰でもよいので、千切れるばかりに尻尾を振ってお愛想を尽くした。娘あるじも、自分の都合の良いときにのみわが輩を猫かわいがり、いやイヌかわいがりするだけなのだが、雨風模様の空をみあげてわが輩をからかうことなく、だっこしてそそくさと家の中に入った。やれやれ一安心だ。この家の者は、無頓着なところがあり、外は雷と強風なのに、わが輩が大声を立てるまではいっこうにわが輩のことには気づきもしないようだ。そのくせ、家の中では男あるじが心配そうにテレビの台風情報をみていた。テレビからの情報にたよらずに外に出て雨風を肌で感じてみろとわが輩は愚痴りたくなった。  男あるじはわが輩の顔をみると、やおら腰を上げ、「なんだ、これしきの雨風にもう耐えられなくなったのか。台風がやってくるのはこれからだぞ。今回は、この辺を直撃すると予報では伝えている。まだ昼前なのにだいぶ暗くなってきたな。突風でガラスを割られた地域もあるので、雨戸を閉めておかなければな」と言い置いて、二階から雨戸を閉め出した。
  わが輩はこんなときには静かにしているにかぎると、居間のフローリングの隅っこで丸くなり眼をつぶった。たしかに外では強風が吹き、雨がガラス戸や雨戸をときどき叩くように吹き付ける音がしだした。どうも、日本という国は、地震もあれば台風も来るので、厳しい環境条件に置かれている。なんとしてもこの辺は避けてお通り下さいと台風に願わずにはいられない。
  雨戸を閉め終わった男あるじが、丸まっているわが輩にちょっかいをだして遊ぼうとやってきた。
「日本では、古くは野の草を吹いて分けるところから、野分といい、『枕草子』にも『野分の又の日こそ、いみじう哀におぼゆれ。立蔀、透垣などのふしなみたるに、前栽ども心ぐるしげなり。大なる木ども倒れ、枝など吹き折られたるだに惜しきに、萩女郎花などのうへに、よろぼひ這ひ伏せる、いとおもはずなり。格子のつぼなどに、颯と際を殊更にしたらんやうに、こまごまと吹き入りたるこそ、あらかりつる風のしわざともおぼえね』。これは、台風の去った翌日のありさまをひどいことになっていると描写している。竹や薄い板でつくってある垣根も乱れ、植え込みも荒れて見るも哀れだ。大きい木も倒れているし、枝なども吹き飛んで萩や女郎花の上にのしかかっていてひどい有様だ。また、格子の間に楓のはっぱを念入りに風によって吹き込んだように押し込んであるのは、とうてい荒々しい台風の仕業には思えない。まあ、ざっとこんな意味だな。明日の朝のわが家の庭もきっとこんな風だぞ。花ノ木や野村紅葉の葉っぱは風に飛ばされ、庭の一隅にまるで掃きだめたように積もっていることだろう」と男あるじは話した。
  わが輩は、だんだんと強さを増す雨風に気を取られ、男あるじの話を余り聞き取れなかったが、いまから一千年も前にも台風は同じように嵐をもたらし、趣のある庭を荒して通り過ぎたのだと、なにやら日本に生きているものの宿命を感じた。

「颱風や 犬も耳搔く 風の音」 敬鬼