「小雪」も過ぎ「大雪」の候となったが、今年は暖冬で雪なんて降る気配もない。スキー場は雪不足でスキー場開きもできないところが多いそうだ。年老いた吾輩には暖かいのは具合がよい。日がなうつらうつらするしかないので、いや老衰のためか頭がぼんやりしてきて自然と瞼が塞がってしまう。娘あるじも心配して何くれとなく世話をやくが、ありがたいと言うよりは煩わしい。そっとしておいてほしいとクイーンクイーンと鳴くのだが、いっこうに通じないので困る。吾輩としてはこのまま眠るように往生できれば一番良いのだが、娘あるじや女あるじには分かってもらえないのがつらいところだ。少しでも命ながら得させるべくいろいろと世話を焼いてくれるが、もうその段階は過ぎたようだ。これも寿命。とはいえ、まだまだ生きられるから頑張るつもりだ。
 そこへ男あるじもやってきた。そして、
「師走も10日あまりすぎて、もうじき冬至がくる。どうだな、そこまで頑張れるか。まあせっかく17年近くも生きてきたので、もう少し生きれば新しい年を迎えられるぞ」とのたもうた。
 吾輩も、そうか新年も間近なのか。吾輩は
1999年生まれなので卯年になる。つまりウサギとご縁が深い。何でも男あるじは申年、女あるじ戌年、そして娘あるじは亥年というぞ。亥はイノシシのことだな。
「来年は申年だ。ということは年男と言うことになる。生まれて5回目の年男つまり御歳72というわけだ。まあ長生きしているといえるな。これでも男の平均寿命より10年も足りない。日本人は長生きできるようになったものだ。父親86歳、母親も88歳まで生きたので長命といえる」と男あるじはつぶやいた。
 吾輩は、やっと17年、どうやったら80年も生きれるのか。生きるのが嫌になることはないのだろうか、と男あるじに尋ねると、
「それはないな。
72年はあっというまといってよいな。その間にはさまざまなことがあったが、どれも懐かしく思い出される。1999年、女あるじと娘あるじがイヌの交換所からおまえを連れ帰ったときのことも良く覚えている。あれは三月中旬の日曜日だった。前のイヌのムツゴローが老衰で死んで数ヶ月後だった。イヌがいないとストレスがたまると娘が言い出し、それに女あるじも賛同して高蔵寺のイヌの交換所に出かけていった。そして連れ帰ったのがおまえさんだったな。3匹の子犬の兄弟がいたそうだが、一番臆病でケージの奥に引っ込んでいたのがおまえさんだそうだ。鼻筋が黒ぐろとした子犬で、クイーンクイーンと不安そうに鳴いていたものだった。あまりせつなそうに鳴くので娘がクウタローと名づけたのだぞ。もらってきてから1ヶ月もしないのにパルボという死病にとりつかれたが、獣医さんの懸命な処置で一命を取りとめた。もっとも、高価な薬剤を用いたのでそれなりに費用がかかったのを思い出す」と男あるじ。
 吾輩は、自分がもらわれてきたときのことを初めて聞いたので、それなりに興味が持てた。もっともパルボで死にかかったという話は何度も聞いていたが、この家に来るようになったいきさつははじめて聞くことなので新鮮だった。頑張って生きられるだけ生きなければと、ともすればくじける気持ちを強くもとうと男あるじを見上げた。しかしすぐに力尽きて頭を下げてしまった。

「大雪や飼い犬寿命尽きんとす」 敬鬼

徒然随想

大雪