吾輩の庵から見える公園の桜も満開となり、気持ちよい風が吹いている。今日は昼寝日和だとうとうとしはじめたら、何人かの男の人が庭にどやどやと入ってきた。何をするのかなと吠えるのも忘れて眺めていたら、屋根に登りだしたのには驚いた。怪しい奴ばらとばかり吠えだしたら、男あるじが現れて吾輩を家の中に引っ張り込んだ。あの人達は何ものですかと目で問うと、男あるじは、「あの人達は太陽光発電を取り付けきた人たちだ。我が家も、エコ発電に協力して太陽光発電を設置することにした。わが家を小さな発電所になるのだ」と答えた。
 吾輩は、家の中に閉じ込められたので腹いせにワンワンと吠えながら、男あるじに問を投げかけた。
「一体全体、太陽光発電とは何でやんすか。太陽光は吾輩が気持ちよく昼寝をするために欠かせないのですが、わが昼寝の妨げになるのですか」。男あるじは、
「太陽光発電とは太陽電池を用いて太陽から電気を作ることを言う。太陽電池というのは半導体からできている。半導体というのは条件によって電気を通したり通さなかったりする性質を持つ物体だ。太陽高発電のしくみは、動きやすい電子(伝導電子)が多い半導体と電子が足りない半導体(正孔)を接合領域を真ん中に設定して重ね合わせ、伝導電子がエネルギーを失わないうちに一方向に集めるものだ。こうするとプラスの伝導電子はマイナスの接合領域からたたき出され、逆にプラスの接合領域からマイナス電気が正孔にたたき出されて電気が生じるんだ。太陽光は伝導電子にエネルギーを与え、活発に動かせるのに使うんだそうだ」としどろもどろに説明した。
 吾輩もなんのことかはさっぱり理解できなかったが、太陽光のエネルギーから半導体の性質を利用し電気を生み出すしかけのようだ。吾輩は安心した。このしくみでは太陽の光を吸い取りはしないようなので、昼寝を妨げられることはなさそうだ。吾輩の生活には電気は必要ない。テレビも冷蔵庫も使わないし、エアコンも風通しの良い場所を選んで寝そべるので必要としないし、冬は日溜まりを探すので不要だ。なにも太陽から電気を作らなくても、太陽の暖かさを直接利用すれば、生活もシンプルに送れる。人間は文明とかいうて、複雑なしくみを作り上げてしまったようだ。Simple life is bestと生きたいものだ。これを察知した男あるじは、
「まあ、それも一理あるな。おまえは自然にエコライフを実践しているといいたいのだろう。いや、エコライフしかできないからと言った方が良いな。いずれにしても、人間は地球資源を食いつぶしている。持続可能な生活スタイルに戻るというか、発展させるというか、このまま成長神話に頼っていていてはまずい。いまや、人間が快適に暮らすためには、水、食物、エネルギー、電化製品や化学製品が必要だ。でも、毎日意識せずに使う水でさえ有限だ。水といっても飲料水ばかりでなく、風呂水、洗濯水、料理や洗い物の水、野菜を育てる水など多くの場面で水が必要となる。幸い、日本は渇水になることは少なく、いつも豊富に水があるが、世界全体をみるとこれは希有なことだ。中国も国全体でみると降水量は日本の半分以下であり、しかも酸性雨が降ったり、河川が汚染されている」と締めくくった。
 太陽光発電の話題から水問題まで、男あるじは人が変わったように話し続けたが、吾輩にはこんな男あるじの豹変がいささかまゆつばだなと感じた。なにせ日頃は隣人や町内会のことさえ関心が薄いのに、地域いや国を超えたグローバルな問題にまで話題を広げたので、そのギャップにいささか吾輩は戸惑うのだった。地球は水の惑星といわれてるが、98%が海水で、淡水は2%、その大部分は南極や北極の氷山などで、人間や動物、植物が利用できる水は全体の001%だそうだ。水こそ我が命と言っても良いようだ。

「古希迎え浪漫に咲くか桜花」 敬鬼

 

徒然随想

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