目に青葉の季節に入ってきた。吾輩には色覚がないので葉っぱが青いのか緑なのかはわからないが、木々に芽生えた葉はみずみずしいのが見て取れる。お茶の新芽ならば、みるいと表現されるところだ。みるいといってもいい竹の子をどこやらか、娘あるじがもらってきた。前任校の裏庭にある孟宗竹の林に毎春生えてくるものをもらってきたようだ。男あるじは、その竹の子をかかえながら、「竹の子は地面に頭が出るか出ないかを掘ると苦みがなくおいしい。このシャキシャキとした食感がなんともいえないな。もっとも、ほとんどは水分、そして繊維質なので栄養といえるもの含まれていない。まあ、旬の味を楽しむ食材だな。竹の子もタラの芽、蕗のとう、ワラビやゼンマイと同じ春の味というわけだ」としゃべり出した。そこへ、女あるじも出てきて竹の子を見るなり、
「良い竹の子だわ。きっとおいしいわ。竹の子は取ってから間を置くとアクが強くなるのよ。さっそく、アク抜きをしなくちゃね。取れたては刺身でも食べれるけれども、これは1日立っているので米のとぎ汁で煮立ててアク抜きしなくちゃね」と男あるじから竹の子を受け取った。
 吾輩は、竹の子何ぞ食さないので、どんな味がするのか、とんと見当がつかないが、見たところ皮ばかりでとてもうまそうには思えない。女あるじはそんな吾輩の顔を見て、
「そうでしょう。こんなものが食べれるとは思えないでしょう。でも、これを鰹節のだし汁で煮込むと味がしみこんでおいしくなるのよ。軽く炒めてもおいしくなるし、なんといっても竹の子ご飯が一番だね。油揚げも加えると一段と美味になるのよ。どれどれ、さっそくアク抜きをするために2時間ほど茹でるとしましょう」と話して、台所に向かった。「昔はこんな栄養のないものなんか食べなかったものだが、最近は珍重されているらしい。竹の子生活と言えば、暮らし向きが楽ではないたとえになったくらいだ。身の回りの衣類や家財などを少しずつ売って食いつないでいく生活を、ちょうどたけのこの皮を1枚ずつはぐようになので、そんなふうに言われたのだぞ」と男あるじは終戦後の生活をおもいやった。
「親父の話によると、わが家は洋品店を経営していたので商いもののメリヤスなどの下着類を供出せず天井裏に隠匿しておいたという。ものがしだいになくなり、お金の価値がなくなることを見越していたのだ。戦争が終わってから米やみそなどお金では手に入らないものを物々交換で手に入れる生活をしたという。まさに日本中が竹の子生活を強いられていた。猛烈なインフレでお金がまさに紙くず同然になってしまったからだ。このときのインフレではものの値段が100倍、つまりお金の価値が100分の1になったというから怖ろしい話だぞ。いまは一年で2%程度ものの値段をあげるのに政府は必死だ。ある程度、ものの値段が上がらないと経済に活気がうまれないのだそうだ。今は、ものが余っているので、金の価値が下がるデフレになっている」と男あるじはつぶやいた。
 吾輩は、お金というものがよく理解できない。女あるじが紙切れを持っていくとドッグフードに交わるのは手品のようなものにみえる。日本中、いや世界中で日本のお金が信用されているからだという。信用なんてそんなあやふやなものの上にお金のしくみは成立しているのか。もし、信用されなくなったらどうなるのかな。猛烈なインフレが再現されるのだろうか。確かなのは物々交換だな。

「竹の皮剥げばうるわし本身かな」 敬鬼

徒然随想

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