この家の男、女、娘あるじは、最近、とみに笑顔が多い。きっと、良いことが起きたのだろう。わが輩も、そのおこぼれに預かり、いつもよりは待遇が良い。庭にいてフィーンフィーンと声を出すと、すぐに女あるじが出てきて家の中に入れてくれる。あの偏屈な男あるじでさえ、とみにやさしくなったようだ。といっても、なにせ変わり者なので、ほんのわずかな変化だ。そこで、わが輩は、女あるじに尋ねてみたところ、「クウちゃん、よく訊いてくれました。孫が生まれたのよ。初孫で男の子よ。もう、うれしくて、うれしくて」と答えた。わが輩も、「そうか、そうか、赤ちゃんが生まれたのか。それはめでたいことだ。家族が増えるのはなんにしてもお家繁盛、万々歳だ」とすなおに喜んだ。しかし、よくよく考えてみると、この家の者の関心はすべて孫に注がれてしまうことになると、わが輩のこの家におけるトップランキングが危うくなるな。これは心してこの問題に対応しなければなと思った。
 そこへ、男あるじも、手に幾枚かの写真をもって階下に降りてきて、それを女あるじに見せた。そのとたん、女あるじは、
「わー、なんとかわいいんだろう。わたしに似て器量よしだわ。めっちゃかわいい」と感激している。わが輩は、これはますます心しなければ、トップランキングを維持するところか、ランキング外になりそうだぞと感じた。男あるじも、
「世代が継承されていける。めでたいことだ」と、なにやら醒めた見方をしている。きっと、女あるじのように、手放しで喜ぶのははしたないと思っているのだろう。なまじ学を修めると、感情の放出が下手になるようだ。こんな時くらい、大いに喜びを外にだせばよいのに、とかく、この手の物知りは、乙に澄まして気取るので困る。
「なになに、素直になれと。子どもの誕生を言祝ぐ和歌や俳句は数あるが、孫の誕生をでれでれと詠ったものはそれほどないのだぞ。歌謡曲では『なんでこんなにかわいいのかよ 孫という名の宝物 じいちゃんあんたにそっくりだよと 人に言われりゃうれしくなって さがる目じりが さがる目じりが えびす顔』と歌われ、ヒットした。まだまだ、赤子なのでこんな実感は生まれてこないが、それでも血脈が3代続くことは嬉しい限りだ」と男あるじは、なにやら隔靴掻痒の言い方をする。素直ではないな。
「『初孫の睦月の空のめでたけれ 瀧村 水峯』。これは孫の誕生を素直に言祝いでいて、共感できるな。1月に初孫が誕生した。空を見上げると晴れ渡っている。まことにめでたい限りだ。という内容だな。まあ、孫の誕生を手放しで喜んでいることが素直に伝わってくる俳句といってよいな」と男あるじは講釈を垂れだした。そして、続けて、
「この子がどんな生涯を送るかは誰もわからない。しかし、どのような時代に生を受けるかで、その子の一生は左右されるだろうな。日本は、戦後、経済成長を著しく、物質的には豊かな生活を、享受している人が多い。でも、このような成長は限界に達しているので、日本は資源効率の高い持続的な社会発展を目指すことになろうな。まあ、どのような時代になろうとも、自立して生きていける知・情・意の3つの力を身に付けてほしいものだ」と殊勝にも、爺心を吐露した。
 わが輩もこれには共感だ。わが輩には子もいないし、孫もいない。つまり、わが輩の血統は途切れてしまうが、わがイヌ族の繁栄は願っている。いまのところ、わが輩達はアニマルコンパニオンとして重宝されているので、生きる糧には当分困らないだろうな。なにせ、わが輩達がいないと人間達は、寂しくていてもたってもいられないようだ。大いに可愛がってもらい、甘えさせてもあげようかな。わが輩達は、これに関しては天才的な才能を持っている。

「これがまあ 孫のお顔ぞ 菊薫る」 敬鬼

 

徒然随想

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