徒然随想

-年の瀬−
   この家の女主人は、年の瀬になると、張り切ってかどうかは疑問だが、おせち料理を作り始める。
「さあ、半年ぶりに息子様がお帰り遊ばすよ!、みんな手伝って!」
とばかり、うきうきしながら支度に余念がない。娘もこれにつきあわされ、たづくり、黒豆の煮豆、数の子の昆布巻き、だし巻き、三色きんとん、その他毎年の定番料理を手作りするようだ。もっとも、これらは歯ごたえが無く吾輩には気に入らない。
 それもそのはずで、この年の瀬は、息子のご帰還に気を取られてしまうのか、吾輩は、
「フィーン、フィーン、相手になってよ」
と声を出して気を引いてみるが、吾輩のことなど気にもとまらないらしい。どうやら、日頃、吾輩を可愛がるのは、ちっとも帰ってこない息子の代用のようだ。
 男主人は、
「あれは心理学で言うところの代償行動だな!」
と、女主人の変わり様をぶつくさと聞こえるか聞こえないかの声でつぶやく。
「代償行動って、何だろう」と吾輩は、けげんそうに目線で男主人に尋ねる。
男主人は、さすがに心理学を教えているだけに、調べもしないで、
「代償行動というのは、本当はこうしたいという欲求や思いがあるが、それがかなわないときに取る代理的行動だな。たとえば、向こうの大きな家のプードル娘のハッピーといつも一緒にいたいのに、そこの主人が粗野で乱暴なお前とつきあうことを禁じているだろう。そこで、お前は満たされない思いを、仕方がないから裏隣の雑種の花子で我慢する。つまり本当の目標が達成されないので、別の目標で満足することを言う」
 吾輩も
「なるほど、そういうことか。でも雑種犬の花子もつきあってみれば良いところもある。まんざらでもないが」とにやにやしていると、すかざず、
「そうなんだ。誰でも、いつでも、思うとおりにならないのが世の常だ。代償行動という心のしくみをうまく利用できるやつは幸せがつかめるんだ」と説教じみて言う。
 吾輩も、そうすると、吾輩の女主人の行動は、
「子どももそれなりに一人前だし、でも孫はまだだし、きっと愛情の行き先がないんだろう」と思いやり、これからはもっと遠慮無く甘えさせてやることにしている。
「そうすると、娘が吾輩を可愛がるのは、はて、何の代償行動なのだろう?
男主人の代償行動は何をしているんだろう。まさか、吾輩を子どもか孫の代わりにしているのではないだろうな?」
 代償行動とは、「愛されない呪い」の解消として発現する行動ともあるが、愛する対象がない呪いによっても発言するもののようだ。