わが輩が、毎日の大半を過ごす縁の下の側に小さな菜園がある。夏には、トマト、キウリ、ナス、ピーマンが植えられて、それなりに実がなっていた。わが輩イヌ族は生野菜などという水っぽいものは食さないが、人間族は生でトマトやキウリをさかんに食する。この家の男あるじも、トマトは好物とみえて、実のつき具合、熟れ具合を熱心にチェックしていた。そんな小さな菜園の夏野菜も終わり、わずかに秋ナスが実を付けているだけとなった。わが輩も、トマトやキウリが2メートルにも成長したのを驚異の眼でみていただけに、その葉が黄色くなり、茎がしなびてしまったのをさびしく見ていたが、今朝、男あるじはそれらの根っこを抜いて処分しだした。男あるじは、
「さてと、これからは秋野菜の季節だから、夏野菜を処分し、土を耕し、肥やしをいれるかな」と張り切っている。
「大根を植えることにしよう。これからは鍋物がおいしい季節になる。それには、なんといっても、大根とネギがいる。スーパーで売っている大根は見てくれは立派だが、堅くて味もいまいちだな。家で育てた大根は、包丁がスーと通るくらい柔らかくおいしいぞ」としゃべり、もくもくと作業をこなした。そして、
「そうそう、大根はむかしはつちおほねと呼ばれていた。土大根とかいてつちおほねと言っていた。これは、徒然草にも出てくる。その六十八段に『筑紫に、なにがしの横領使などいふようなるもののありけるが、土おほねを万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづつ焼きて食ひけること、年久しくなりぬ』という書き出しで土おほねの話がのっている。そして、ある時、この館の兵が留守の時にが敵に囲まれ襲われてしまう。その時、二人の兵士が現れ、命を惜しまず戦い、敵を押し返し、すんでの所でこの横領使は生き延びることができた。この館の兵士は出払っているのに現れたこの二人の兵士は、果たして何者かと不思議に思い尋ねたところ、『年来たのみて、朝な朝なめしつる土おほねらにそうろふ』と答えたというぞ。横領使とは、いまでいえば、地方警察の長官といってよい。この話は突拍子もない逸話といってよいが、当時でも土おほねには大きな効用があると信じられていたのだろうな」と手を休めて語った。  わが輩は、大根を食したことがないので、うまいのかまずいのか、はたまた滋養があるのかないのか、わからない。しかし、大根の種を見たことがあるが、あの小さな種、そう直径が0.5ミリほどのものが、9月の半ばに植えると、1週間ほどで発芽し2枚葉となり、みるみる大きく成長し、そして3ヶ月ほどで大きな大根となるのにはびっくりしている。小さな小さな種から大きな大きな大根がなるのだから、まさに種の力を実感させる。こんなことを男あるじに眼で伝えると、男あるじは、
「まったくその通りだ。はじめて大根を作ったのは10年ほど前になるが、そのときには、おまえと同じ感慨を小さな大根の種にもったものだ。このように身近な野菜である大根は、その姿がユーモラスをかき立てるのか俳句にも詠まれている。一茶は『大根(だいこ)引き大根で道を教へけり』と詠む。畑で大根を収穫している人に一茶が道を尋ねたら、抜いたばかりの大根で道を教えてくれたというものだ。なんということもない句だが、のどかでほのぼのとする情景が目に浮かんでくるな。山頭火も『洗へば大根いよいよ白し』」と詠んだ。たしかに大根の膚は水で洗われると白さが際だってくるから不思議だな」としゃべった。
  わが輩も、大根足とか大根役者とかが思い浮かぶ。どれも太い足や下手な役者を揶揄しているが、しかしどことなくユーモアがあって底意地が悪い言い方ではないようだ。

「にぎやかに 大根の種 芽をだせり」 敬鬼

徒然随想

-土おおね