女あるじが秋に植えておいたチューリップがようやくこの陽気で咲き出した。女あるじによれば、赤、黄、白、薄紫の色の花が咲いているらしいのだが、吾輩にはどれも薄緑にしか見えないのが残念だ。そこへちょうど、女あるじが洗濯物を抱えて出てきて、吾輩がチューリップをしげしげとのぞき込んでいるのを見て、
「咲いた 咲いた チューリップの花が、並んだ 並んだ 赤白黄色、どの花見てもきれいだな」と学校の先生らしく音程確かに歌った。古い子どもの歌のようだ。大きな花がぱっくりと開いたところは、子どもでなくてもかわいらしく感じる。吾輩はあらためて花の中をのぞき込んでみると、めしべを真ん中にしておしべが取り囲んでいた。 そこへ、男あるじも陽気な天気に誘われたか庭に出てきて、咲きそろったチューリップを眺め、
「チューリップというのは、原産地はトルコだ。日本へはオランダを経由して江戸時代に伝来したらしい。日本ではチューリップを食することはないが、オランダでは食用のチューリップが盛んに栽培されているというぞ」と話し出した。
 食用のチューリップがあると聞いて、女あるじは、
「いったいどこを食べるのかしら。花、茎、それとも球根」と男あるじに尋ねたので、
「わたしも食したことはないが、ものの本によると、球根の糖度がきわめて高くでん粉に富んでいるので、主に製菓材料として用いているようだ。まあ、ゆり根のようなものだな。そうそう、チューリップはユリ科に属する。そのほか、花もサラダに添えられて、生食されもする」と応えた。
 吾輩は、チューリップの花も食すると聞いてびっくりした。人間という動物は、蟻や蜂の子など下手物食いだと思っていたが、こんな可憐なものまで食ってしまう。そういえば、ご近所にレタスが好物のイヌがいたっけな。吾輩の胃はとてもとても花や葉っぱを受け付けそうもない。
 男あるじは、
「デリバティブって知っているか。取引のひとつである商品取引は、実は、17世紀初頭にオランダで行われたチューリップ取引が、その起源であると言われている。チューリップの愛好家は珍しい球根を手に入れたいと望む。そのうちに珍しい品種のチューリップの球根が高値で取引されるようになった。そのうちにチューリップ取引で儲けてやろうと投機的な様相が強くなり、ただの球根が数十倍の値段で取引されるようになったそうだ。1個の球根が家一軒と同価格までになり、チューリップ・バブルが生じてしまった。でもこんな熱病に罹患したような取引は長くは続かない。球根を売ろうとしても誰も買わなくなれば、やがてこのバブルは弾ける。こうして、1637年のある朝、球根価格が暴落、チューリップ・バブルは終焉したというぞ」と話し終えた。
 吾輩は、珍しい球根があれば少々高値でも手に入れたいという思いは理解できる。でも、それが金の価格よりも高くなり、チューリップのもつ実体価格をはるかに上回るようになると、もはや正常な値段とはいえない。もっとも、ある種の鯉は何百万円もするというから似たようなものだな。もっとも株取引も似たようなもので、あるとき株を売ろうとしても買い手がなければ暴落する。さてどうしますかと男あるじをみやると、そそくさと家の中に退散した。

「チューリップくちびる開けて生気吐き」 敬鬼

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徒然随想