今年は空梅雨かと思われたが、ようやく梅雨空らしくなってきた。わが輩は、こんなどんよりした天気は好まない。気温が上がり、もくもくと入道雲が空高く湧き上がるほうが良い。わが輩が庵とする縁の下は、意外と西からの風が通るので直射日光を避ければそれなりに暑さをしのげる。でも、降るでもなく晴れるでもない天気だと、この西風も止むので、毛がじめじめして気持ち悪いものだ。
 こんな梅雨空の夕方、男あるじが散歩のために庭にお出ましになった。そして、
6月も半ばを過ぎたので梅雨らしくなったな。湿気があるせいか肌がちくちくし、湿っぽくてかなわんな。そういう点では犬は汗腺がなく汗をかかないので楽だな」と脳天気なことを言い出した。わが輩は、ここで男あるじの無知を改めるべく講釈することにした。「そもそも哺乳類の汗腺にはアポクリン腺とエクリン腺の2つがあります。アポクリン腺は脂肪分や老廃物からなる分泌腺で毛穴から分泌され、一方、エクリン腺は水分を多く含む分泌腺でおもに体温調節の役割をなします。わが輩イヌ族には、アポクリン腺は全身に分布しますが、エクリン腺は足の裏などにわずかに分布するだけなのです。人間属は、この逆で、全身にあるのがエクリン腺、口、鼻、脇の下にだけあるのです」とわかりやすく解説した。男あるじは鳩が豆鉄砲をくらったようにあんぐりと口を開けて聞いていたが、やにわに散歩にわが輩を連れ出した。きっと、わが輩の汗腺の知識に驚いたのであろう。わが輩は歩きながら、にたにたと笑いをこらえる、いや尻尾を振るのをこらえるのがやっとだった。男あるじは歩きながら、
「そうか、イヌはアポクリン腺から脂肪分を分泌するのか。イヌ臭いのはそのせいなのか。きっと、湿り気の多いこの梅雨の時期はその分泌物が乾かないので一段と臭気を発するのだな」と嫌みを言い出したのでわが輩はそれを聞き流した。
「ところで、この季節はどうして梅雨と漢字で表記するか知っているか。もっとも流布しているのは、この時期は梅の実が熟す頃であるという説だな。しかし、カビが生えやすいことから「黴雨(ばいう)」から梅雨に転じたという説、あるいは「毎」日のように雨が降るからその毎を持つ「梅」という字が当てられたという説などがあるのだぞ」となにやら早くも講釈しだした。わが輩は気分が良いので素直に頭を上下に振って肯いた。が、内心ではそれがどうかしたのかと訝った。男あるじは続けて、
「梅は果実だが、桃や杏と異なりその用途はじつに多様だ。梅干しからはじまって梅酒、梅ジャム、それに梅エキス(梅肉)とある。梅には、解毒する、殺菌する、血を浄化するなどの効用があることが昔の人は知っていた。悪いものを食べて下痢したら梅肉というように使われるわけだ。じっさい、中学くらいまで下痢をすると、自家製の梅肉をなめさせられたものだったな。梅肉は梅を長時間コトコトとそれが黒くどろどろとなるまで煮詰めて作る。これはむかしの人の健康薬で、じっさい腹下しにはよく効いた。もっとも、強烈に酸っぱく、飲み下すの嫌だったが、良薬は口に苦しで、むりやりに水で飲み下したものだ」と遠くを見ながら話した。  わが輩は、下痢などはめったにしない。それもそのはずで、ドッグフッドとやらの無味乾燥な固形物に缶詰の肉を毎日毎日食しているので、腹下しのしようがない。これにくらべれば、人間は悪食だ。生の魚肉、半生のビーフ、生野菜、昆布やわかめ、それになまこやほたての海産物などを口に入れるので、腹が下らない方がおかしいくらいだ。なかにはイナゴやアリ、蜂の子、かたつむりなど昆虫まで食する。こんな悪食を人間どもは食文化と言って大事にするようだから不思議だ。白いご飯と味噌汁、それに少々のお菜を食していれば、糖尿病にも肥満にもならないものをと、わが輩はあるきながら愚考した。それにしてもわが食卓をもうすこし豊にして欲しいものだ。

「梅雨空や 蝶の羽ばたき 重かりき」

徒然随想

-梅雨時