海の日だそうだ。何のことかと男あるじに尋ねてみると、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」祝日だそうだ。わが輩はマグロもエビも食さないからいっこうに海の恩恵を受けていないので、そんな祝日は知らんという顔をしたら、男あるじは、
「それはそうだ、マグロとか烏賊とか、あるいはウニをお前は食べるわけではないから、日本を取り巻く海の恩恵とは無縁というわけだ。でも、日本人の大半はこういうものが好きだし、海の幸から栄養を頂いて命を保っている」と話した。
  わが輩は、つらつら考えてみるに海というものを見たこともないことに気がついた。そこで、「海とはどのようなものですか」と目で男あるじに尋ねたところ、
「海とは何か。うーん、当たり前のようで当たり前ではないことを尋ねるな」といい、しばらくわが輩の前から消えたが、すぐにプリントアウトしたものを持ってやってきた。そして、
「海は、地球の陸地以外の部分で、塩水で満たされているところをいうんだぞ」と話し出した。わが輩は、それでと続きを促すと、
「地球の海は全てつながっていて、濃度3%前後の塩などが溶け込んだ水でできている。海は地表の70.8%を占め、海の面積は約36106km平方で、陸地の面積の約14889km平方と対比すると、2.42倍だそうだ。平均的な深さは3729mもあり、富士山と同じくらいの深さがあると言うことになるな。これは平均だから、もっと深いところ、たとえばマリアナ海溝はエベレストより深く、1万メートル以上あると言われている」と説明した。
  わが輩は、きっと池の途方もなく大きいもので舐めると塩辛いものが海と呼ばれるものだと理解できた。そんなに大きくて広いので、鯉や鮒より大きな魚が沢山泳いでいるらしいと考えた。
 男あるじは、
「海は人間の生活にに大きな恵みをもたらしてくれるが、そればかりでなく人間の心を豊かにするものでもある。たとえば俳句にも詠まれている。『春の海 ひねもすのたり のたりかな』。これは蕪村の俳句だな。春の海をぼんやりと眺めていると、それは一日中ゆったりと波がのたりのたりと繰り返し、見ている者の心ものどかにさせる、という情景を簡潔に平易に詠んだものだ。人間は見る光景によって心が静かになったり、あるいは刺激され浮かれたり落ち込んだりもする。『夏山や一足づつに海見ゆる』。これは一茶の句だ。汗を拭きながら山道を歩いていたら、遠くに青々とした美しい海が見えてきてほっとしたときの情景を詠んでいるのだろうか。『初秋や海も青田も一みどり』。これは芭蕉の句で、ことのほか暑かった夏が過ぎ、ふと見やると田んぼも海も爽やかな青一色と変わり、清涼感が漂っていることを詠んでいる。このように、海は人間の心を穏やかにしたり、落ち着かせたりするが、これも海のもつ広大無辺のなせるわざだろう」と話した。
  わが輩は、なるほど海はやさしいのですねと答えると、男あるじは、
「いや、そうでもないぞ。大津波なんかは牙をむくと何千人、いや何万人という人を飲み込んでしまう凶暴性もある。もっとも、これは海がすることではなく地震の副作用と言ってもいいのだがな」とつぶやいた。
  わが輩も、海そのものはやさしく豊穣なのだろう。でも、大津波もあるので美しいものには時として大きなとげがあるから気をつけなければと愚考した。

「夏の海 かつての若さ 戻したし」 敬鬼

徒然随想

-海の日