朝から軽快なマーチが聞こえる。男あるじに聞くとこの団地にある小学校の運動会だそうだ。天気も快晴、秋晴れで気持ちの良い運動会になるだろうなと吾輩は聞き耳を立てたら、男あるじもマーチに触発されてわくわくしてきたようだった。吾輩も学校のグランドに行ってみたいと男あるじを見上げたら、
「うん、気もちはわかるが無理だな。大体、小さな子どもたちを連れた親御さんが見物しているところにおまえは連れて行けない。まあ、音楽だけで我慢するんだな」と言って、自分はいそいそとカメラを提げて出て行った。  2時間もすると、顔をいくぶん日焼けさせたのか、上気したのか、赤ら顔で男あるじが戻ってきた。そして、
「子どもたちが精一杯徒歩競争したり、一緒にテンポを合わせてダンスをしたり、また組体操をしたりしているのを見るのは良いものだな。私もクラスの皆とくったくなく競い合ったあんな時代があったことをしばらくぶりに思い出した。足が速かったので学級対抗リレーの選手だったこと、徒歩競争ではいつも一番だったことも思い出した。そうそう、一等賞には金色の短冊がもらえたので、けっこう後まで宝箱にしていた小さな箱にしまっておいたものだった」となつかしそうに話した。
 吾輩もかけっこは大好きだ。いつだったか男あるじがリードを放したすきに逃げ回ったのは愉快だった。結局、団地のブロックを一周したが、男あるじは吾輩の早足にとうてい追いつけなかったものだ。男あるじの鼻をあかしてやって大いに愉快だった。
 「そうそう、あの当時、つまり私が小学校低学年の頃の運動会では父兄が参加できる出しものもあったな。当時は父兄会と言われるくらいで、男親が参加するのが普通だった。私の父親も、こういう楽しい集まりに仕事の都合をつけて喜んで参加したようだった。そのときの写真が残っている。綱引きの場面で、父兄が東西に別れてロープを引き合っている。このときも晴天でみな仕事のことを忘れて綱引きに興じているのだから、思わず微笑ましくなる。この写真が撮られた運動会は、あの辛く切ない戦争が終わって6年後くらいだったろうか。朝鮮戦争が勃発し世の中は決して安穏としていられる状況ではなかったはずだが、でも庶民はたくましく生きていたのだなと感じ入ったよ。もちろん、子どもにはその当時の世相なんて分からないが、しかし父親たちがこのように子どもの運動会に参加し、興じていたのだから、世間は落ち着きを取り戻していたのだなと思う」と話し続けた。そこへ女あるじがやってきて話に加わった。
「当時、女子たちは白の運動着に紺色のブルマという出で立ちだったわ。男の子たちも上下とも白色の運動着と半ズボンで統一されていた。そして男子は赤か白の帽子、女子ははちまきを締めたことを思い出すわね。出し物も、綱引き、組み体操、騎馬戦、二人三脚、玉入れがあったわ。そうそう、大玉転がしも忘れられないわ。大玉が脇に落ちてしまい、四苦八苦したこと、二人三脚で足がまどろって転び、すりむいたこともあった。どれも遠い時代の懐かしい思い出よね。まさに運動会ノスタルジアだわね」とつぶやいて買い物に出て行った。
 吾輩は、運動会での出し物を挙げられてもなにがなんだかちんぷんかんぷんだが、しかしけっこう楽しいものなんだなと男あるじを見上げたら、男あるじも顔をくしゃくしゃにして笑ったのか泣いたのか不思議な面相を示したのには驚いた。

「玉入れや遠い昔の運動会」 敬鬼

運動会ノスタルジア

徒然随想