吾輩もとうとうこの世にいとまを告げるときが来た。早朝、息が苦しく喉に痰が詰まり、なんとか痰を出そうともがいたが心臓の方が止まってしまった。涙がひとりでにこぼれた。まだこの世に、この家に未練があるのか、あるいはこの家に居候させてもらった感謝の印なのか、もう吾輩にはわからない。やんぬるかな。
 娘あるじがスープや流動食そして吾輩の好物の卵ボーロなどを用意して懸命に介護してくれたお陰で、動物医師の見立てより一ヶ月も長生きできた。
 吾輩の臨終を察して女あるじも起きてきて、娘あるじとともに吾輩のために涙を流してくれたのを意識が遠のく際に、ほんのわずかに感じた。男あるじも加わって、
「これは大往生だ。りっぱな最後といえる。見てみろ、安らかな顔をしている・・・」
吾輩はいつものように茶々を入れようとしたが、ここで何も聞こえなくなり黄泉への道を歩き出した。 娘あるじは、
「そういえば、クウタロウの先代に当たるムツゴロウも、たしかに210日頃に死んだんだわ。きっとクウタロウを迎えにきたのかしら。あのときも私の腕の中で息を引きとったことを思い出したわ。なにか因縁かしら」と嗚咽を漏らしながら話した。
 男あるじは、それを聞いて、
「立春が過ぎてそろそろ雨水の候になるな。雨水というのは暖かさで雪が雨になる頃をいう。生きとしいけるもは寒いときに命を終えやすい。まあ、クウタロウの場合は17年も生きたので寿命がきたためなので気候とは関係ないかもしれないな」と意味の成さないことをつぶやいた。
 もっとも、娘あるじの言や男あるじのおしゃべりは、吾輩が黄泉への道を歩きながら漏れてきたものだから、吾輩としてはそれに応えられないのが悔しいところ。
 そんなことには頓着なく、男あるじは吾が遺体を見下ろしながら、
「そういえばクウちゃんのことをご近所の人は心配して声をかけてくれたぞ。二人で散歩をしていると、クウちゃん元気ですかと尋ねられ、『ええ、頑張って生きています。もっとも、もう一緒に散歩をしたり、遊んだりすることはかないません。一日のほとんどを寝ています』と答えたよものだ。私が退職してから6年になるが、その間毎日夕方には散歩に連れ出していたので、ひとりでにわれわれ夫婦とクウタロウとは対になって覚えられていたのだろう。われわれだけでクウタロウがいないと、はて犬はどうしたのだろうと問うて見たくなるのは自然の成り行きだな。」とぶつぶつとしゃべった。そして続けて、
「おまえが散歩に一緒にゆけなくなってからのわれわれ夫婦の散歩の状況を教えてやろう。
それは、毎日、何か俳句のお題を決めて一句を散歩の終わりまでにつくるという俳句創作の作業をするのだ。例えばお題が雪空のとき、『雪空や帽子手袋探す子ら』という俳句が詠まれた。うん、これは女あるじの作だな。今年は暖冬だったんで雪が降らなかったが、それでも寒冷前線が降りてきて雪空になった。子どもらは雪だと喜んだが、さて帽子や手袋はどこにしまったかなと母親を巻き込んで大慌てで探している情景を詠んだものだな。紅梅がお題の時、『紅梅や一輪毎に陽射し延ぶ』。これは私の句だ。もっとも『梅一輪一輪ほどの暖かさ』を模倣している。これは江戸時代の中頃に活躍した芭蕉の弟子の服部嵐雪の句だな。梅が一輪咲くごとに暖かさも増してくるといった意味だろうな。もっとも梅が一輪咲いた。それを見たときに梅一輪だけの暖かさを感じるというふうな解釈もある。『紅梅や一輪毎に陽射し延ぶ』では、紅梅が一つずつ咲き始めた。それが数を増やす毎に夕日の落ちるのが伸びていく。春が来ているな。まあ、こんな意味を込めて詠んだものだ」としゃべり終えた。
 吾輩は、吾輩が散歩につきあえなくてもこの夫婦はそれなりに工夫しているので安心してあの世にゆけると感じたが、それを伝えられないのがもどかしい。



「紅梅や一輪毎に陽射し延ぶ」 敬鬼

 

 

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