最近の男あるじは悩みが多い。いつもぶつぶつとあーでもない、こーでもないと自問自答しているようだ。上目遣いにそれとなく何に悩んでいるかと探ると、宇宙はどうして生まれたのかということにあるらしい。あまりにも壮大な、いやわが輩にいわせると陳腐なことに悩んでいるので仰天した。わが輩が住まうこの大地は、与えられた命と同じように、究極の前提であり、それを問うこと自体が無益と思うからである。人間は自らを考える葦と定義しているようだが、宇宙の起源を問うことこそナンセンスだと思う。なぜなら、この問には究極の答えはないので無限循環に陥るしかないだろうに。 わが輩のこのような思いを直感した男あるじは、
「宇宙の起源を問うことをナンセンスだというのか。それこそ、淺知恵というものだ。確かに、究極の答えというか、自然科学に依拠した答えはすぐには明らかにできない。しかし、人間は、人間として己を自覚した当初から、宇宙とは何かを問うてきた。宇宙を問うことは人間とは何かを問うことになるのだった。宗教には、創世記が書かれている。どのようにして宇宙が生まれ、そしてどのようにして人間が生まれたかについての物語だな。たいてい、神が宇宙を作りたまい、神が人間をつくりたもうたことになている。まあ、神は自然の造物主ということになる。あのアインシュタインは、『この世界は驚きに満ちているが、もっとも驚くのはこの世界がどのように生まれたのかを問う存在が出現したことだ』と述べている。つまり、人間は自分のよってたつ世界を問う存在となり、その意識をもつにいたったことに驚嘆している。」と講釈しだした。
 わが輩は、こりゃ長い話になるなとあくびをしたところ、この不敬ものと頭をがつんとやられた。やれやれ、宇宙の話などにどうしてなったのかな。早く散歩に連れ出してほしいものだ。
「だいたい、宇宙という漢字は何を表しているか知っているか。『宇』は空間を、『宙』は時間を表しているともいわれる。つまり、『宇宙』で空間的広がりと過去・現在・未来の時間的広がりを表現しているのだよ。古の人々は空を見上げ、この果てには何があるのだろうと考えたことだろう。そして、そもそもこの宇宙はどうしてできたのだろうと。現代の宇宙物理学は、宇宙の初期には全ての物質とエネルギーが一カ所に集まる高温度・高密度状態にあったと仮定している。これは、遠方の銀河が遠ざかっているという観測事実にもとづき、アインシュタインの一般相対性理論を適用して、宇宙が膨張しているという結論からきている。つまり、この宇宙膨張を過去に遡って想定すると、この宇宙膨張は爆発的膨張によっていると推定されるという。この爆発的膨張はビッグバンと呼ばれている」
 わが輩は、ふーんというしかなかった。この宇宙が爆発によって生まれたなんて、とうてい想像することができないからだ。いったい、誰が爆発させたのか、何がきっかけで爆発したのか、そもそも爆発したものはどうして生まれたのか、宇宙はどこまで膨張するのか、そして収縮してしまうこともあるのだろうか。ふーん、曰く不可解だ。

「ビッグバン シリウスいつか 遠ざかり」 敬鬼


徒然随想

-宇宙の起源-