徒然随想

−話題を求める−
   夕飯を食べながら、聞くともなく聞いていると、またまた、家族の者どもは吾輩のうわさ話を何やらしているらしい。
「先代のムツゴロウは、顔立ちもふっくらとして良かったし、性格も穏やかで、あれは名犬だっだと思うわ」とこの家の女あるじがいう。ムツゴロウとは吾輩の前にこの家に居候していた先代である。
「そうそう、クウタローは、性格もわがままで、我慢が足りないね。夜中に良く泣くしね。でも、こんなことを言い合っていると、スネるかもしれないよ」
と娘が応じる。
   失礼千万な。吾輩の性格まで、比較するとは、ほんと、頭にくる、いやしっぽにくるぜ。これは吾輩の個性だ。大きなお世話というものだ。
   この家の主人も、一緒に飯を食っているようだが、テレビをみているらしく、犬の性格がどうのこうのという会話には、あほらしくて加わらない。
「犬には性格なんぞあるものか、あるとすれば、ちょっとした個体差だ」
と思っているらしい。学問をかじる奴はこれだから困る。
   この家の者は、話題が無くなると、決まって、吾輩のことを持ち出す。とくに、冬場にそれが多い。というのも、この家の女どもは、夏はドラゴンズに夢中となり、テレビの放映がはじまると、互いの足先が直角になるように、寝そべって、お菓子と観戦に余念が無く、吾輩のことなどいっこうに念頭にない。話題も、
「今年も中田はあかん、オフに遊びすぎたんじゃないかしらね」
とか、
「それにしても、落合監督はかみさんに依存しすぎていない、星野ほどじゃなくても、もっとパーフォアマンスをしなくちゃ、これじゃお客は入らないわ」
とか、
「ブラちゃんは頼りなったけど、モリちゃんはいまいちかな」といっぱし解説者きどりでしゃべっている。
   プロ野球が終わると、とたんに話すことが無くなり、学校ではどうのこうのとかの愚痴話もつきると、吾輩のことになるらしい。
   最近は、子育ても一段落した家で吾輩のような犬を飼う人が多いようだ。アニマルフレンドとかアニマルコンパニオンとか呼んで、吾輩をより身近に感じているらしい。まあ、番犬とか呼ばれるよりは悪い気はしないので、せいぜい、愛想をふりまく。もっともコンパニオンなどと呼ばれたら、「伏せ」とか「チンチン」とか芸がいるようで落ち着かない。
   長年、家族として一緒に暮らしていると、そんなには話題があるものじゃない。そんなとき、吾輩がいっしょにいると、話題にことかかないようだ。たしかに、この家の者の行動を、暇つぶしに眺めていると、何かに退屈すると、きまって吾輩の所に寄ってきて、
「お!、寒い寒い、まあ、クウちゃん、そんなふうにあごを出してねそべってかわいい、おかあさん、ちょっと来て来て」
などと娘が女あるじを呼ぶようだ。
   吾輩も、せっかく、夕飯後のひとときを毛布を肩までかけてくつろいでいるのに、はた迷惑なと思いながらも、これぞ、吾輩がこの家にいる存在理由と感じて、尾っぽを義理堅くほどほどにふって愛想をふりまいてやる。吾輩などの仲間は、匂いコミュニケーションをしているので、話題などは必要としないが、人間どもは、ことばという不思議な手段でコミュニケーションをしているので、話題がないと言うことは、きっとつらいのであろう。
あの啄木も、寂しさを紛らわすためか次の歌を詠むだ。

 「庭のそとを白き犬ゆけり。
  ふりむきて、
  犬を飼はむと妻にはかれる。」