運動要因による立体視

運動視差による立体視での「対象の角速度要因」と「頭部運動の角速度要因」の比の法則の効果
 最近の研究によれば、対象を追従する眼球運動システムが運動視差による立体視にとって網膜外の奥行要因として重要であることが明らかにされている(Naji & Freeman 2004, Nawrot 2003a, 2003b, Nawrot & Joyce 2006)26に示したように、観察者が奥行距離fにある対象を注視(F)したままで眼球を左右方向に角度αで運動させると、網膜上では眼球運動とは反対方向に網膜像の運動が生起する。視覚システムは、この網膜像の運動と網膜外要因である眼球運動の両方の情報から相対的奥行距離(d/f)を復元する。眼球追従運動は眼球の回転角度をα、網膜上での対象像の運動を角度θとすると、運動視差が生起する場合、αとθは連続的に変化し、それらは微分係数「dθ/dt」、「dα/dt」でそれぞれ表される。これらの微分係数の比が次式のように相対的奥行距離「d/f」を規定する。

dθ/dα = motion/pursuit = (dθ/dt)/(dα/dt)

さらに厳密に数学的に記述すると、「『網膜運動速度』対『眼球追従速度』の比の原理(M/PL)」は以下で示される。

d/f = (dθ/dα) * {1/(1-(dθ/dα))} = dθ/dβここで、β = α-θ)。

 この公式(M/PL)によると、次のように、運動視差条件で生起する奥行知覚の各要因が説明できる。(1)奥行出現量を規定、(2)その奥行出現方向(対象が注視点の手前あるいは後方)を規定、(3)M/PL一定条件ではfが変化すると相対的奥行距離dが比例的に変化することの説明が可能、(4)奥行恒常性(観察者の眼球運動速度が増しても、「dθ/dβ」は一定なので視えの相対的奥行距離は恒常となること)が説明可能、(5)速度倍速効果(speed multiplier)を説明可能(観察者が自動車を運転し注視点距離が遠い場合、観察者の移動速度が「dθ/dt」と「dα/dt」を増大させるので注視点距離が遠くても相対的奥行が検出可能となる)。  Nawrot & Stroyan(16)によると、運動視差による相対的奥行距離は網膜像速度要因単独では規定できないが、「『網膜運動速度』対『眼球追従速度』の比の原理(M/PL)」ではそれを規定できるという。27に示したように、網膜像速度が一定条件(6.5cm/secで角速度1deg)での相対的奥行距離の変化を考えるとき、注視点距離の増大に伴う相対的奥行距離(比)の変化は、同一の網膜像速度でも観察距離に依存して異なる相対的奥行距離となる(左図)。一方、単位時間あたりの眼球運動速度に伴う相対的奥行距離の変化は単位時間あたりの眼球運動速度が異なると、相対的奥行距離も変わる(右図)。これらは相対的奥行距離が網膜像速度だけでは規定できないことが、網膜運動速度と眼球追従速度運動の比を考えると相対的奥行距離が規定できることになる。
 この「『網膜運動速度』対『眼球追従速度』の比の原理(M/PL)」が運動視差による立体視の程度を正確に記述できるか、あるいは網膜像の運動速度要因のみでそれが可能かを検証するために、網膜像速度(dθ/dt)と眼球運動速度(dα/dt)を操作し、これら2つの仮説の予測値と実験値とをNawrot & Stroyan(16)比較照合した。実験は、28に示したように、まずディスプレー上の左側に注視点を提示、次ぎにその注視点の中央にランダム・ドットで構成され窓枠で囲まれた刺激パターンを提示、さらにそれを右水平方向に注視点と共にシフトして提示する。刺激パターンのシフトの速度は、眼球運動の追従速度を3段階(57.510 deg/s)に変化させることによって操作された。また刺激パターン内のドットは、サイン波形状の凹凸の深さが5段階(0.420.6250.8331.252.5 deg/s)に変化させることよってその最大速度を操作して右方向にシフトされた。刺激パターンのシフト速度と眼球追従速度との比(M/PL)は、0.3330.2000.1430.0914段階に設定された。観察者には、この間、頭部を固定したままでシフトする注視点を眼球のみで追従し、最初に提示された凹凸波形に対し次に提示されたそれを比較し、どちらの奥行感が大きいかを選択回答させた。
 実験の結果、「『網膜運動速度』対『眼球追従速度』の比の原理(M/PL)」による予測値は実験から得られた運動視差による奥行出現程度および奥行出現方向と良く一致することが確かめられた。このことから、視覚システムは運動視差立体視において網膜像速度要因のみではなく、眼球運動速度要因もそれに対応させて機能させていると考えられる。

 

運動による奥行視での網膜外手がかりの効果
 観察者が奥行方向に移動する対象を眼球追従して視る場合には、その対象を網膜の中心窩に常に定位することで網膜像変化を極力小さくしているために網膜像変化の手がかりは作用せず、したがって対象の奥行定位は眼球運動追従に関わる網膜外手がかりによってなされると考えられてきた。一方で、対象が奥行方向に移動した場合に生起する左右眼の反対方向への眼球運動は、奥行定位の手がかりとしてほとんど機能しないとされている(Erkelens & Collewijn 1985Regan, et al. 1986)。観察者の奥行方向に移動する対象を観察する場合、網膜上での対象像のシフト(retinal slip)と眼球運動に関わる眼筋手がかりについて、29に示したような4つの事態が考えられる。まず、眼球運動が静止している状態でターゲット刺激が観察者の奥行方向手前に移動した場合には、ターゲット刺激の網膜像の位置が変化(retinal slip)する(A)。次ぎにターゲット刺激が奥行方向手前に移動し眼球が対象を追従運動した場合には網膜像は変化しない(B)。また、参照刺激(小円)がある場合で対象が奥行方向手前に移動しても眼球運動が静止している場合には参照刺激と対象との間に形成される両眼視差が変化する(C)。さらに、参照刺激がある場合で対象の移動を眼球が追従運動する場合には参照刺激と対象との間の両眼視差は変化する(D)。
 Welchman et al. (29)は、網膜外手がかりである眼球運動要因が単独で有効な奥行手がかりとして機能するかを実験的に検討した。実験では、眼球追従条件と眼球静止条件が設定され、また刺激は中央のターゲット刺激とその周囲の背景刺激から構成され、これらはステレオグラムで作成された。眼球追従条件では(30A)、奥行の異なるターゲット刺激と背景刺激をともに移動させ、それを眼球追従させ、観察途中で背景刺激を除去することによって網膜内手がかりと網膜像外手がかりを分離した。刺激として200個の不規則に配置した小正三角形を背景刺激に1個のターゲット刺激である矩形を中央にして配置して提示した。次いで刺激の網膜上の大きさを一定に保つように操作しながら背景刺激と一緒にターゲット刺激を移動させた後に背景刺激のみを除去(網膜内奥行手がかりの除去)し、さらにターゲット刺激の移動を持続させた。観察者にはこの間のターゲット刺激を追従するように指示した(図中、実線によるカーブはターゲット刺激と背景刺激の移動、破線はターゲット刺激のみの移動を示す)。眼球静止条件(B)では、ターゲット刺激と背景刺激とを同一の奥行位置を固定して提示し、しばらく観察後に背景刺激を消去し、次いでターゲット刺激を奥行方向に移動させた。この間、観察者にはターゲット刺激を眼球追従しないように指示し網膜外手がかりを除去する。観察者には両条件ともにターゲット刺激の観察者に対する奥行方向(観察者に前進あるいは後退して視えるか)についてターゲット速度を変え、刺激提示のはじめから背景刺激消失後まで判断させた。
 その結果、眼球追従条件の場合でターゲット刺激が背景刺激と共に運動している条件では、ターゲット刺激の奥行方向に関する前進/後退の判断はチャンスレベル以下であったが、しかし背景刺激が消失後の運動するターゲットの奥行方向の判断は正確になされた。これは、ターゲット刺激と背景刺激が一緒に移動する条件では網膜上の刺激の大きさがその奥行距離を変えても不変に操作されているので網膜像の大きさと左右眼に生起する両眼視差とは奥行手がかりに関して抗争的(コンフリクト)となるために、そして背景を消失させるとこの抗争が減衰するために、生起したと考えられる。また、眼球静止条件でも、背景消失後の運動するターゲットの奥行方向判断はチャンスレベル以上にあることも示された。結局、網膜外手がかりである眼球運動要因は、対象の奥行運動の方向性の知覚において単独で有効な奥行手がかりとして機能している。

オプティク・フローと単眼奥行手がかり
 最近、V5領域(MTComplex)はオプティク・フローの処理過程と関係があることが神経生理学的研究で明らかにされている(Wurtz 1998Wall & Smith 2008)。網膜上で生起するオプティク・フローには、観察者の移動および対象の移動が関係するので観察者はそのオプティク・フローを解析して、そのフローを構成するどの要素が観察者あるいは対象もしくは両方の移動によって生起しているかを知る必要がある(オプティク・フロー解析仮説optic flow-parsing hypothesis)。もし、オプティク・フローから観察者の移動のフロー部分を差し引くことができれば、残りのオプティク・フローは対象の移動によるものと考えられるし、また観察しているシーンが安定していれば、その位置におけるオプティク・フローは観察者の移動によって生起していると推測される。この関係は31に示されている。図中(a)に示されたオプティク・フローを解析すると、シーン全体は左方向のフローが生じているので観察者は4個のボールとともに右方向に移動している。しかしボールは観察者が移動しても網膜上では静止しているので観察者と同速度で移動している。(b)シーン全体にはフローが無いので観察者は静止し、4個のボールが観察者からの奥行距離に応じて動いているので、ボールのみが動いている。オプティク・フローを解析するためには、フローから観察者自身の動きを検出することがもっとも重要である。観察者が網膜外の手がかりによらずに自己の動きをフローから見いだすためには、両眼視差など立体や奥行情報が必要となる(Kellman & Kaiser 1995van den Berg and Brenner 1994)オプティク・フローを解析のためには両眼視差情報が重要であることはすでに確認されている (Rushton et al. 2007)。しかし、両眼視差が十分な奥行手がかりではない事態で絵画的奥行手がかりが加わったときのオプティク・フロー解析の精度は確かめられていない。
 Warren & Rushton(27)は、そこで、このような事態でのオプティク・フロー解析を検証するために、32に示したようなステレオグラムを作成し、オプティク・フローの提示条件を次の4通りに設定した。(1)運動視差要因のみで提示する条件(a)、(2)運動視差と相対的大きさ要因で提示する条件(b)、(3)運動視差、相対的大きさ、パースペクティブ要因で提示する条件(c)、(4)運動視差、相対的大きさ、パースペクティブ、オクルージョン要因で提示する条件(d)。ステレオグラムは、水平、垂直、奥行の各方向に不規則に24個のテクスチャ面をもつ立方体から構成され、また観察者の自己運動の指標であるプローブ刺激としてのドットはシーンの上方、左右端から等距離で、3通りの奥行位置(80110130cmの位置になるように両眼視差で操作)のいずれかに固定して提示された。実験では、このドットは垂直方向にゆるやかに上下して提示されるので、観察者には、その移動位置に対応して左右方向あるいは斜め左右方向に動いて視える。刺激はすべてステレオグラムで提示し、両眼視差条件の場合のみ視差が付けられた。被験者は静止して観察し、上下に移動するプローブ刺激の方向を報告する。33は、観察者の移動とそれに伴うオプティク・フローによってシミュレートされたシーンを示している。ここでは、観察者が左方向に移動した事態(反対方向への頭部回転が随伴)でのオプティク・フローから生起するプローブ刺激の移動方向(NF1F2は奥行位置、Cは注視点)が、観察者の移動に伴ってプローブ刺激がどのように動いて視えるかをシミュレートしている。注視点より手前のプローブ刺激は同方向に、遠くは反対方向に動いて知覚されるとともに、観察者から遠い位置に提示されるプローブは速く動くと予測される。そこで、測定では、プローブの運動方向およびプローブの動きを知覚するまでの反応時間を測定した。反応時間を測定したのは、観察者から遠くに定位されたプローブのシミュレーション速度は近いそれより速いので、それを知覚するまでの被験者の反応時間が短いと予測されるためである。
 実験の結果、注視点より遠くにある2つのプローブでの知覚反応時間を比較したところ、観察者の動きをもっともよく解析できるのは両眼視差条件であり、 運動視差のみの条件はもっともそれが悪いこと、また絵画的奥行手がかりを追加するとその成績が向上することが示された。このことから、オプティク・フローの解析から観察者自身の動きを抽出するためには、両眼視差と絵画的要因の両方が必要である。

観察者の手の運動によるオプティク・フローの変化の知覚
 網膜上での流動パターンであるオプティク・フローは、対象の前後、左右、上下の運動方向と運動距離を観察者に伝達する。オプティク・フローは、観察者の運動によっても、あるいは対象自体の運動によっても生起する。もし、対象と観察者が同時に運動する場合には、対象と観察者それぞれによる運動を分離できなければ、対象と観察者の運動方向と運動距離とが正確に知覚できない。
 Umemura & Watanabe(25)は、34に示したような実験パラダイムで観察者の運動によるオプティク・フローと対象のそれとの分離が可能かを確かめた。この実験パラダイムは、Wexler et al.(2001)による2種類のオプティク・フローの合成による知覚に関する研究を応用したものである。この研究は、図34に示したように、垂直軸を中心に奥行回転するドットフローと中心から四方向へと奥行的開散するドットフローとを合成して提示する(上段)と水平軸を中心に奥行回転する矩形が知覚(下段)されるというものである。そこで、観察者運動条件と観察者静止条件とを設定した。観察者運動条件では、35の上段に示したように、最初に与えられたオプティク・フロー(水平軸を中心として奥行回転する矩形)が観察者の前後方向への運動によって水平軸を中心とした奥行回転と中心から四方向への奥行開散に分離されて垂直軸を中心とした奥行回転の矩形が知覚されると予測される。一方、図35の下段に示したように、静止した観察者では最初のオプティク・フローによる水平軸を中心とした奥行回転の矩形がそのまま継続して知覚されることになる。観察者の運動(アクション)は、図35の左端に示したように、タッチパネル上でのタッチペンで代行された。タッチペンとオプティク・フローの運動とは連動されているので、手腕運動による視点の奥行方向への変化が一種の網膜外手がかりとして学習されると想定されたためである。手腕運動とオプティク・フローとの連合学習は、テストを挟んで4回にわたって実施された。オプティク・フローの奥行回転方向は、別途用意した直線を水平・垂直・奥行に操作させて測定した。オプティク・フローは視空間の限られた範囲に提示し、グランド面には市松模様を配した条件と配さない条件を設定した。
 実験の結果、(1)手腕運動とオプティク・フローとの連合学習によって手腕運動が新たな網膜外手がかりとなり、頭部運動時と同様な影響をオプティク・フローの3次元視に与えること、(2)手腕運動とオプティク・フローとの連合学習は訓練回数にともなって高まること、(3) 観察者の前後方向への手腕運動が進展するにつれて、最初に与えられたオプティク・フロー(水平軸を中心として奥行回転する矩形)が水平軸を中心とした奥行回転と中心から四方向への奥行開散に分離され垂直軸を中心とした奥行回転の矩形の知覚が正確になること、(4)グランド面がある条件の方が、観察者の手腕運動に連動したオプティク・フローを、垂直軸を中心とした奥行回転の矩形と知覚する傾向が高いこと、(5)タッチペンを前後ではなく左右に手腕運動させても(オプティク・フローの流動パターンの変化は前後運動と同一)、前後運動条件と同等の知覚効果が得られること、などが明らかにされた。このことから、視覚システムは頭部運動以外でも観察者の運動を網膜外手がかりとして学習し、オプティク・フローの流動パターンを対象の運動と観察者の運動に分離して知覚できると考えられる。

運動視差立体視の発達
 乳児は、両眼視差、運動視差、絵画的要因などの奥行手がかりを利用して3次元形状、奥行距離などを知覚する。発達過程のどの時点で、これらの奥行手がかりが有効となるかをまとめたものが表1である。これをみると、3月齢から7月齢までには両眼視差立体視と絵画的要因による立体・奥行視が可能となる。自己の運動に連動した対象への気づきは、6月齢までに可能となるが、運動視差立体視の開始年齢はいまだ不明である。
 Nawrot & Mayo(15)は、運動視差立体視の開始年齢を「馴化−脱馴化法」を用いてしらべた。対象乳児は829週齢の10名である。馴化手続では、ランダム・ドットで構成されたパターンがサイン波形の凹凸を出現させるように、ドットの速度を変えることでシフトして提示した。このとき、刺激パターン全体のシフトとドットのシフトが同一の場合には、注視点が右方向にシフトするので明瞭な凸が、それらが反対方向の場合には明瞭な凹が出現する。ただし、注視点のシフトが無い場合には、奥行出現の方向があいまいとなる。脱馴化手続では、凹凸出現方向が馴化手続とは逆転する条件、および凹凸が出現しない平面条件とが設定された。馴化と脱馴化での反応指標としては、注視時間を用いた。
 実験の結果、16週齢になると明確に脱馴化が示され、この時期までには運動視差立体視が可能になると考えられる。